炊きだし 2

牡鹿半島の南端で目覚め。すばやく朝食を食べ、テントを畳み、キャンプ地(どうやら学校か何かの施設の、テニスコート横の芝生に僕らはテントを張ったらしい)にある水場の近くにブルーシートを敷き、この日の炊きだしの仕込みを始める。
献立は、さんまの缶詰の炊き込みご飯と、キャベツと油揚げの味噌汁。お米を研いだり、炊き込みご飯の中に入れる野菜を切ったり。この水場のすぐ横にある野球場に、自衛隊の輸送ヘリ(食料など支援物資を下ろす)がこれから発着するらしく、11時までにここを出るように促される。帯広から駐屯しているという彼らからデニッシュパンをいただいた。
今日夕方の炊きだしの場所は、昨日の雄勝総合支所の近く、森林公園の避難所。少し時間があったので、石巻市内に行こうと(あわよくば先日再開したあの果物屋さんを再訪したかった)、早めに出発する。夜中に走ってきた道は、昼間でも相当に怖い。信じがたい津波の威力を、途切れることなく目の当たりにする。途中で、市内まで戻る時間が足りないと気づき、文明の象徴、イオン・ショッピングセンター(東石巻店)に立ち寄り、翌日の炊きだしの材料などを買い込む。イオンといえば、同じ石巻の店は震災後、一週間避難所と化したらしい。その記事を読んでいただけに感慨深い。
女川、雄勝の光景は僕らを無口にさせる。徹底的で、無慈悲な破壊。
避難所のある森林公園は名前の通り森の中にあり、津波の被災を免れている。水も出るらしい。こういった情報は、訪れてみないとわからない。いい方向へのミスインフォ。また、「キャンプ場」の標識もあったので、「今晩ここにテントを張っていいでしょうか?」と申し出てみたところ、快く許可してもらえた。翌日昼もここで炊きだしなのだから、こんなに便利なことはない。もうあの道を通って牡鹿半島を往復することもない。
炊きだしは上手くいった、と思う。すべて僕以外のメンバーの手順、手際の良さのおかげ。
この日、特筆すべきことは、この森林公園の管理人さんとの会話にあった。僕らに、「テントだと底冷えするから、キャンプ場の奥にあるバーベキュー用のキャビンを使ったら?」というありがたいお言葉。案内していただいたキャビンには、入り口などオープン部分をブルーシートで被い、内部に6人用の大きなテントが5つ張ってあった。
あの日、300人がこの森林公園に避難してきて、そのなかの子どもや女性たちがこのキャビンの中で入り、寒さをしのいだという。キャビンとキャンプ場の間には、キャンプファイアーができる円形のスペースがあった。「ここでいろんなものを燃やして、みんなであったまったんだよ」……そんな日々が一週間続いたという。僕ら、顔を合わせられなかったけどたぶんみんな、管理人さんの話を聞きながら、涙を流してたんだと思う。
その夜はキャビンの中でずっと原発の話をしていた。胸がいっぱいだった僕はほとんどしゃべれなかった。
このまま翌3日目、5月1日のことも書きます。3日目の炊きだしは、同じく森林公園で昼に。献立は、きのこの炊き込みご飯と、鶏団子汁。Mくん指揮による鶏団子汁は、味噌味が続く中で目先を変えて塩味、しかも大根おろしが入り、餡でとじるということでちょっとした料亭っぽい料理でした。
無事に3日間の炊きだしが終了し、荷物を積み込み、帰路へ。
東京へ到着し、レンタカーを返したのは5月2日朝8時でした。
不安と無力感(あと自然への畏怖もだ)が常についてまわったこの旅の考察は、気持ちが整理できたときにいつか。(続くかも)
宮城県雄勝の光景は、「37 frames」をご参考に。僕らがいたときの写真ではないけれど、こういう場所に僕らはいました。