炊きだし 1

4月28日から5月2日まで、2泊5日(車中泊2日)で、再び宮城県に行ってきました。NGOの募集に参加した前回と違って、今回は5人だけ、個人の集まりでの被災地への炊きだしでした。自分の未熟さゆえに上手くいかなかったことも多分にあるのですが、ここでは行程を中心に、簡潔に記していきます。
4月28日の朝に東京を出発し、積み込みなど18時間をかけて宮城県石巻に到着。それも午前2時だったので、テントを張る気力、体力ともなく、大学の駐車場で車中泊。29日、朝になって芝生にテントを張り、ブルーシートを敷いて炊きだし第一食の下準備を始めるものの、連休中は駐車場が使えないということを知り、ここを拠点とすることをあきらめ、再びすべてを車に積み込み、炊きだし場所である雄勝に向かう。
雄勝は同じ石巻市ではあるけど、市街地から2時間近く離れている。北上川沿いを走るのはほとんどが自衛隊の特殊車両ばかり。橋が途中で落ちている。亀裂、凹凸のある悪路の手本のような道で、時速は20キロ台しか出せない。約2時間後、雄勝総合支所に到着。
2週間前に日和山山頂からの光景で、「全壊」地区は見たはずだったけど、その中を車で走って感じるものとは、こちらに向かってくる強度がぜんぜん違う。津波が破壊し尽くした、圧倒的な光景の中にいて感じるのは、自然への畏怖。恐怖で震える。喉がからからになる緊張感を持って、初の炊きだしへ。
炊きだし場所である雄勝総合支所とは、この地区の災害対策本部のような役目をしているところらしい。鉄筋コンクリート3階建ての建物も3階まで被害を受けていて中は使えず、駐車場にプレハブを建てて、そこで役割を機能させている。僕らの初炊きだしは、避難所ではなくこの支所や周辺で瓦礫撤去などで働く人たちへのものとなった。 最初の献立は、鶏肉とさつまいもの炊き込みご飯と、けんちん汁
材料は石巻の大学グラウンドで仕込みをしてきたので、あとは炊飯器で炊く、寸胴鍋で煮る、という行程のみ。だが、ここでは水、電気、ガスがない。水はポリタンクで約60リットルを運んだ。ガスはプロパンガスを10キロ2本を東京から持ってきた。野球のホームベースより一回り大きなガスコンロを、プロパンガスに繋ぎ、点火し、水を入れた寸胴鍋を温め始める。炊飯器にトラブルがあり、急遽、これもガスコンロに鍋をかける。
途中雨が降り始め、庁舎の軒先に場を移動しながらの炊事。その間に大鍋で湯を沸かし、それを使ってほうれん草のおひたしも一品追加。慌ただしくも、着実に「食事提供」へものごとは進んでいく。17時に提供予定のはずが、約30分遅れた。でも、初めて、見ず知らずの人たちにご飯を作って提供することができた。
今回、炊きだし場所は、この雄勝地区で被災者支援をしているNPO「トモノテ」にコーディネイトしてもらっている。炊きだし現場でも彼らに手伝ってもらった。さて、今夜の寝床。石巻専修大学は駐車場が使えないという。それにここから2時間もかかる。「トモノテ」がベースキャンプを張っている場所はここから一時間半、水も使えるという。そちらに行くことにした。鍋や什器をふたたびハイエースに積み込み、20時前、「トモノテ」が先導する車で、雄勝を走り出す。
闇の中のこのドライブ(僕は助手席に座っていただけだが)は、約3時間続いた。地割れした路面、まわりは瓦礫に埋もれ、闇もあって人気がしない牡鹿半島をひたすら南へ(海岸線が入り組んでいて、やたらと細かいカーブがある)、暗闇の奥底へ分け入っていくような道。正直に言うと、生きた心地がしなかった。牡鹿半島南端、鮎川のキャンプ地に着いたときは、テントを張るか、また車中泊をするか、5人で話し合いがされたぐらいの疲労困憊ぶりだった。
テントを選択。初めて見るような満天の星空の下、僕らはそそくさとテントを3つ張り、コーヒーを湧かして飲むと素早く寝袋に入った。