石巻での泥出し

(写真は、「37 frames」より)

4月8日から16日まで、宮城県石巻でボランティアしました。
ボランティアたちは石巻専修大学の校庭、陸上トラックの外側の芝生にテントを張っています。複数のNGONPO、個人参加の人たち。その数、100張り以上。ボランティアのための炊き出しがある日もあったし、ボランティアのためのマッサージ・テント、美容師がボランティアで髪を切るテントもありました。日本だけでなく海外からも多くの人が来ていました。
僕が参加したNGOではボランティアの作業は、「泥出し」「キッチン(炊事)」「デリバリー(炊き出し)」「倉庫仕分け」の4種に分かれます。1チーム5人が基本単位で、泥出しなどは1エリアに3チーム(15人)など。特に強いリクエストがない限り、一週間、同じ種類の作業をします。
個人参加の場合は、同じく石巻専修大学に設置されている「石巻ボランティアセンター」で登録→マッチングとなるはずです。僕は一週間、ずっと「泥出し」でした。
基本的な日々のスケジュールは、朝8時に集合、全体ミーティング、ラジオ体操などを済ませ、9時頃、車で市内へ出発。市内清掃の拠点となる「あいプラザ石巻」で、スコップ、デッキブラシ、一輪車などを用意して(借りられる)、指示(依頼)のあった場所へ徒歩で移動。津波被害を受けた家や、汚れた通りの泥をかき出したり、水で流したり、泥を含んだ畳や家財道具を片付けたり、午後4時まで作業します。作業時はヘルメット+ゴーグル+マスク+レインウエア+厚手のビニール手袋+長靴を装備。作業終了前には川沿いの作業用の給水所(飲料水ではない)で道具を洗います。
昼食は「あいプラザ」の駐車場でとります。毎日、南米ベネズエラから贈られた不思議な形をしたバケット(真ん中に穴があいている)と、ウルグアイのコンビーフがお昼に出ました。南米の国々からは救援物資の他に、大使やメディアたちの視察、取材も、僕らが作業している期間にいくつかありました。
作業終了後は再び車でキャンプ地の石巻専修大学へ。夕方5時ぐらいに到着すると後は自由時間です(チームリーダーは、毎日ミーティングがあります)。食糧、水、テントなどは各自持参です
石巻の状況は、報道や、前述の「37 frames」のサイトをごらんください。
ボランティアの経験がなくて、チームの足手まといにならないだろうか。被災地の邪魔にならないだろうか、という危惧は強くありました。昔テレビで見た「サバイバー」だったら初日にでも帰されそうなヘタレだし。でも、実際に体験してみると、泥出しは重労働ではあるものの、できることは確実にあるし、なにより「人手は無限に必要」です。それに5人組というチームの存在が大きいです。ひとりじゃできなかった。
最近、読んだ坂口恭平の言葉、〈技術はないかもしれないが、心配は無用。本当は技術がないのではなく、経験がないだけだ。自分の身体を使って体験を重ねると、必要な技術はいくらでも進歩するのが、人間というものだ。〉が響きます。一週間で「進歩」したかどうかはともかく。
重要なことは、被災地への人的援助は今後も継続的に必要だということです。
トップの写真は、4月11日に泥出し、掃除をした果物屋さんが、翌日開店したときの写真。津波被害を受けたあと、この通りの商店では初の営業再開になりました。再開記念に、サンマを店頭で焼き無料配布しました(果物屋さんなのに!)。僕は店のそばでその告知をしています。

石巻ボランティアセンター「これまでボランティア派遣依頼を3,139件受けて、そのうち1,590件に派遣しました。ボランティアを待っている世帯が1,549件。まだまだ人手が足りない状況。ドロ出し、畳、家具の搬出がメイン。個人の日帰りでもOK」(4月15日)