星野智幸『俺俺』

〈調子はずれの音をまずひとつ、それからおもむろにもうひとつ。それはさざなみとなり見る間に奔流と化す。そして、ついには調子の狂った不協和音だらけの音がメロディ全体を支配するに至るのだ。〉
これはスティーヴン・キングが映画『盗まれた街』について語った言葉。他人がいつの間にかみんな入れ替わっている。そういった設定は、この映画以外にもいろんなSFで描かれている(と、同じことを指摘している書評がすでにあった)。でも、俺が俺だけでなく誰もが俺だったら、というのが、星野智幸が小説『俺俺』で描いた世界。
俺俺マクドナルドで隣り合わせた男の携帯電話を手に入れてしまった俺は、なりゆきでオレオレ詐欺をしてしまった。……」
こんな導入から(普通に「サスペンス?」って思う)、まさかまさかの非日常へ、調子はずれの音が波紋のように広がっていく。俺だらけの世界。姿形は違えど、見知らぬ人が、上司が、俺。俺は増殖していく。みんなが俺だったらお互いわかりあえないことなんてないし、「俺山」状態で楽だ、といった楽観的観測はすぐに覆される。その崩壊は、映画『インセプション』の予告編映像で地面がひっぱがされていくようなスペクタクルなものではない。ドタバタのスラップスティックのようでいて、心底の恐怖がある。だから、後半の必然的に怒濤な、驚愕の展開がある。効く。
↑なんてことを考えるのも(昨日twitter始めました)、絶対俺だけじゃないだろうし、でも、それでも自分の感想を書くことを、閉塞感から「削除」しないぐらい感動したのです。あの山があんなことの舞台になるなんて!というのも戦慄的なおもしろさでした。