「SPEECHLESS」

昨日は始発のバスから、日暮れまで山の中にいた。今日は雨が降り出す前に、近所のお米屋さんに灯油を買いに行き、ストーブをつけた部屋で、コーヒーを淹れ、ステレオのプレイボタンを押す。
先日、郵便受けに届いていたサンプルCD。ヒートウェイヴの山口洋+細海魚によるそのアルバムのタイトルは「SPEECHLESS」。ふたりの「ライヴ盤」のミックスが進んでいるという話は聞いていたけど、僕は秋頃からインターネットと(音楽にも!)かなり離れた生活をしていたので、完成したことも、タイトルも、このヴィジュアルも、そしてこんな音になっていることも、何もかも知らなかった! これは、ほんとうにライヴ盤なの?ってびっくりするよ。ライヴ盤につきものの、「臨場感」という言葉に言い換えられるような、「勢い」をアピールするようなイメージはない。でも、なくてもいいんだ。もし、いわゆるライヴ盤が、偶発的な要素に左右されるタイダイ(絞り染め)だとしたら、こちらは緻密で、精巧なタペストリーなのかもしれない。
窓の外の雨の音も聞こえるような音量で、静かに音楽を聴く。ここはライヴハウスではなく僕の部屋だ。響き渡る音量に包まれるのではなく、僕はこの音楽に耳を澄ます。音楽によって満たされる心の静謐さ。
タペストリーは横糸と縦糸で織られる。山口洋と細海魚は、ライヴ音源をもとに、ミックス作業をインターネットを通じて、「SPEECHLESS」に行なったそうだ。言葉を交わさずに、音を織る。
人は言葉をどれだけ使っても、たとえ博覧強記の学者でも、ディベートの達人でも、マルチリンガリストでも、メタファーの天才でも、100パーセントわかりあえることなんてないと思う。ならば、言葉や会話が無ければ人はもっとわかりあえないのか。おしゃべりな時代の中で(次々とリリースされてくる「コミュニケーション」のためのメディアを、僕は強迫的に感じてしまう)、差異や欠落、孤独を埋めるのが(差異なんて埋めなくてもいいのだ)、それだけなのではなく「想像/創造」の力でもあることを、その可能性を、このアルバムは示唆している。静かだけど豊潤で、あたたかく鼓舞される。