『考える人』村上春樹ロングインタビュー

考える人 2010年 08月号 [雑誌]

普段めったにインタビューに応えない村上春樹の、400字詰め原稿用紙に換算して300枚を超す異例のロングインタビュー(2泊3日、計11時間!)が掲載されているということで、書店で『考える人』という雑誌を初めて手に取り、パラパラめくり、そのボリューム(誌面では約100ページがインタビューに充てられている)に納得、というか圧倒されて、これはじっくり読むべきと購入しました。
まず僕は、ときどきインタビューして原稿を書く人間として(僕のそれは才能的にも量的にもあまりにも乏しくジャンルも違うけど)、これだけディープに、タフに誰かの話を引き出せるだろうかということを考えてしまった。僕の尊敬するある写真家が、〈「みんなカメラを見ているけれど、その後ろの私を見ているんです。(被写体である)相手の反応は確実に自分を写している」と。だからこそ「ポートレイトは恐い。その人を写しているようで自分を写している〉と以前話していたけれど、これは写真だけではなくインタビューも同様で、相手に向き合える自分を持てるかどうか、という自問は僕にとっては毎回押しつぶされそうなプレッシャーだ。インタビューするには、築いてきた信頼感もあるだろうけど、作品を読み解く力、膨大なリサーチ、好奇心や構成力、教養、話術、そういった総合力が必要で(くどいけど、それらが僕に備わってるという意味ではない)、さらにこのインタビューでは、100万人以上の『1Q84』読者の興味を背負っている。
すごく興味深かったポイントは、意外にも『1Q84』に関する部分ではなくて、『ねじまき鳥クロニクル』についてのこの発言だった。
〈僕にとって『ねじまき鳥クロニクル』のなかでいちばん大事な部分は、「壁抜け」の話です。堅い石の壁を抜けて、いまいる場所から別の空間に行ってしまえること、また逆にノモンハンの暴力の嵐さえ、その壁を抜けてこちらに吹き込んでくるということ、隔てられているように見える世界も、実は隔てられていないんだということ、それがいちばん書きたかったことです。どうして「壁抜け」ができたかというと、僕自身が井戸の底に潜っていったからです。深く潜って、自分をどこまでも普遍化していけば、場所とか時間を超えて、どこか別の場所に行けるんだという確信を得られた。つまり主人公の「僕」が井戸の底に降りて石の壁を抜けるというのは、作者である僕自身が実際にその壁を抜けたことのアナロジーでもあるんです。空間と時間を移動する視線を獲得できたことは、小説家としてとても大きなことでした。〉 
村上春樹河合隼雄に会いにいく』で僕が反応した部分から大きく、進んでいる。まさに抜け出している。 他には「フィジカルな質感」というくだりにすごく興味が湧いた。もしも僕がここだけインタビューに加わることができたなら、「フィジカルな質感」という言葉を手がかりに、青豆の身体性や、フィジカルな鍛錬が「システムというものに対抗する個人」にとってどれぐらい有効なのか、訊いてみたかったなーと思いました。
ちなみに僕は『1Q84』BOOK1、2についての感想で、まず「インターネットも携帯電話もないという時代設定(1984年)がなるほど必要だった、と最初はそう思った」なんて、その設定が必要だったから物語の舞台をこの時代にしたと考えたんだけど、〈『1Q84』を書いてつくづく不便に思ったことだけど、一九八四年という時代の日常にはコンピュータもインターネットも携帯もないんです〉と、まったく的外れでした。そんな些細な理由では、ない。
近未来を描いた小説や映画は退屈で凡庸で、近過去に惹かれ、〈つまり『1Q84』は一口でいえば近過去小説であり、僕としてはいわば、過去の書き換えをしているわけです。なぜそんなことをするかというと〜〉という流れも面白かった。やっぱり過去の書き換え、検証は大事(→参照:2009年6月の日記)。
BOOK3については読了直後、僕は以下のような感想を記していたのだけど、きっと僕は、もっともっと「やみくろ」的なものについて読みたかったんだと思う。今回のインタビューで、〈BOOK3は、できれば時間をかけて読み返してもらえるとありがたいなと思います〉と言われてしまったので、いつかもういちど読もうと思うけど。
「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」が、12月のふたつの月が浮かぶ世界で実現されました、というお話になってしまった! Book 3は青豆と天吾の恋愛ものに収斂されてしまった印象。ふかえりは? リトルピープルは? もっと、世の中に確実に存在する「邪悪なるもの」への抗体(の作り方)について書いていくと思ったのになー。「コミットメント」についての言及とか、「あれ?」と思うところもありました(村上春樹が小説の中に出てきてる!と思った)。Book 3までを通して作中人物の中で僕はいちばんタマルに惹かれたかもしれない。邪悪なるものに対する抗体をいちばん強くもっていそうだから。それは付与されたものではなく、自分で生きるために獲得していったものだから。そして現実的な使命がある。「猫の町」でひとりだけ犬と暮らしてたし。(2010年4月26日)
  とにかく、読み応えも読み甲斐もあったし、このロングインタビューのあとには、たかが2万字ほどのインタビューは「ロング」とは呼べなくなるだろうな。感服!