エモリー・ダグラス

ブラックパンサー エモリー・ダグラスの革命アート集 (P-Vine Books)

ブラックパンサー エモリー・ダグラスの革命アート集』を読んだ。
ブラックパンサー党の革命芸術家、エモリー・ダグラスの、そのアジテーション的なアートの数々が掲載され、当時のブラックパンサー、ならびにアフリカ系アメリカンの闘争史がわかる編書。1500部の限定発売らしく、僕が図書館で借りたのは435というナンバリング入り。
ブラックパンサーについては、ティム・オブライエンの『ニュークリアエイジ』の注釈でぐらいしか知らなかったけど、この本で、エモリー・ダグラスのアートによって、その主張がわかったのがよかった(充分な証言付き)。60年代末のフラワーチルドレンのことは伝わっていても、その同時期、同じベイエリアで、アフリカ系アメリカン達がどんな抑圧を受け、こんな闘いをしていたことなんてほとんど知らなかったから(単に僕がそういう本を読んできてなかったからということもあるけど、でも、文字だけの本だったら図書館でこの本を見つけることもできなかっただろうし、やはりデザインの力は強力!)。以下、本書からの引用。
〈エモリー・ダグラスは弱冠22歳で、ブラックパンサー党の共同創始者であるボビー・シールとヒュ−イ・P・ニュートンに出会った。シールは党の機関誌『ブラックパンサー』第一号の発行準備に取りかかっているところだったが、サンフランシスコのシティーカレッジで商業アートを学んできたダグラスは、自分がデザインや全体の仕上がりをもっとよくできるという自信があった。ダグラスは情報を広く知らしめ、党の思想を視覚的に正しく伝える必要性を理解し、機関誌が党の目的達成のための重要な手段となる、という信念を共有していた。その日、ダグラスは入党し、後に革命芸術家、また文化相としてボビー・シール、ヒューイ・ニュートンと共に、党で最も成功を収め、多大な影響を与えることになる出版事業の一端を担った。
ダグラスの芸術的才能とデザインや印刷の経験は、機関誌の力となった。大胆なグラフィックと写真を用いた際立ったコラージュと、彼の描く絵は、警察による嫌がらせや貧困、劣悪な生活環境によって荒廃したコミュニティに向けて、強い説得力を持って語りかけた。〉