『ラディカルパペットの民族史』

先日の中央大の講義のときにイルコモンズさんから頂いた『ラディカルパペットの民族史』(イルコモンズ・アカデミー編)をじっくりと読みました。
1999年の「シアトルの乱」以降の新しいアクティヴィズムに登場したドラムサークル、クラウンアーミー、そしてパペットという戦術のうちの中で、特にラディカルパペットの起源、意味、実践の記録が綴られています。
「アクティヴィズム」とか「戦術」という言葉を見ると、なんか怖そうと思うかもしれないけど、デモにおけるこれらの新たな表現は、そこに「祝祭性」をもたらし、また、「敵対することなく、敵対者の調子をくるわせ、攻撃することなく、相手を判断停止においこ」むそうです。たしかに、洞爺湖サミットでの警察の過剰警備はなんだったのかと思う。
〈巨額の警備費を費やした警察にとって「解決策」となるはずの野蛮人は現れず、かわりにやって来たのは「非暴力」と「祝祭性」を象徴するパペットやクラウンアーミーたちだった。それらの抗議者たちは「対抗的想像力」によって、警察が設定した「60〜70年代の武装抵抗」という「見慣れた型」を、「シアトル以降」の「非暴力直接行動」の「新しい型」に再設定してしまった。(中略)実際、暴力をふるってやらない抗議者とパペットを前に動きのとまった機動隊の姿は「政府機関は武装抵抗という見慣れた型に陥ることを拒否するような革命運動にどのように対応すればよいのかをまったく知らない」ということを立証していたし、警官隊がデモ隊のトラックの窓ガラスを破壊し、運転手をひきずり出して逮捕する映像は、実のところ、暴力と荒れた現場に飢えていたのは警察ではなかったのか?ということを物語っている。〉(同書より)
僕が先日、四谷のオルタナ展で読みふけっていたファイルや展示は、イルコモンズさんがこの洞爺湖サミットのために準備してきた文章やデザイン、そして不当逮捕の報道やそのドキュメントなどの「物的証拠」であり、この『ラディカルパペットの民族史』は、それを補足する文化人類学的なテキストです。最後の「私たちはかつてないほど快活である」という章は特に心が躍る名文だけど、この章だけの引用ではもったいないので、僕に声をかけてこの小冊子を借り出して、全部読んでください(全24ページ、非売品)。
夜は高円寺の「VEGEしょくどう」に行き、友だちと美味しいご飯を食べました。それから、お店のかたから、小沢健二の『企業的な社会、セラピー的な社会』という本を借りました。