忌野清志郎青山ロックンロールショー

ナタリーのレポートには本当に感謝! 4万2千人のこの日の弔問客や、来たくても来られなかったもっともっと多くのファンが、その場にいたかった告別式の様子がきちんと報道されている。
僕は12時から列に並んだけれど、約2時間経って南青山4丁目まで進んだところで(つまり列は大きく会場から離れて伸びていて、折り返し地点までも辿り着けなかった)、断念して乃木坂駅に戻ることになった。僕の親よりも高齢に見える人から僕と同じぐらいの年代、子ども連れ、RCや清志郎のTシャツを着た人たちの長い列の横を反対方向にすれ違い駅に歩きながら、あふれる熱い想いで胸がいっぱいになってしまった。彼らと僕はきっとこれまでどこかで同じ時を過ごしてる。日比谷野音や武道館やどこかのライヴハウス、ロックフェスなど、きっとどこかの会場で僕と一緒にステージの清志郎を観ていた人たち。歩道橋わたるとき、長い長い列を見て僕は持ってきた『COVERS』のLPを掲げてみたくなったんだ(空には踊らない、「エンジェル」じゃないから)。
乃木坂駅の改札からはぞくぞくと参列者たちが出てきた。僕はその流れに逆らい、涙をふいて電車に乗り込んだ。電車は動きだした。次の駅で僕は降りてしまった。「ヒッピーに捧ぐ」の歌詞ではなくて、青山の国連大学でのシンポジウムに行く用事があったからだ。
生物多様性」をテーマにしたシリーズイベントの初日の今日、沖縄から友だちのKEN子がやってきて、泡瀬干潟や高江や辺野古など沖縄の「大問題」について話した。
ミュージシャンのKEN子がどうして環境問題に関わるようになったか。きっかけは音楽だった。地元の先輩ミュージシャンに声をかけられて足を運んだ泡瀬干潟。KEN子自身も主催スタッフとして開催した辺野古でのフェス辺野古から、ヘリパッド基地新設予定地である高江にも関心が繋がる。
沖縄の泡瀬干潟を埋め立てて人工リゾートを造る計画がある。だけどすぐ隣の「新港地区」も分譲が決まってるのはわずか数パーセント。その代わりに犠牲になるのは海草や藻など139種、貝類360種、鳥類150種、サンゴなどが暮らす干潟。ここを埋め立ててしまえば、海へ流れ出る川の水を浄化する生き物たちのサイクルは死に、海は汚れ、漁業もできなくなる。
環境問題の専門家でなくても、海が埋め立てられるのは嫌だと思えば嫌ということが大事とKEN子は言う。見に行く、話しを聞く。わからなかったら専門家に質問する。それが「素人」の役目だと。そこから、誰も考えつかなかったような抵抗の方法を思いつき、実践例を芸人顔負けのお笑いを交えてトークで展開していく。
KEN子はミュージシャンなのに喋りがすごく上手いのだ。平易な言葉と身近なたとえ話、笑いとリズムがあって、専門的な知識は今日はゲストのWWF JAPANの草刈秀紀さんがサポートする。印象的だった草刈さんの言葉をひとつだけ紹介。ソマリア沖は生物多様性な海で、漁業で生活がなりたっていた。その自然が破壊されて漁業ができなくなって、海賊になってしまった。自衛隊がうやむやな国会審議でソマリア沖に出ていったのも、もとは生物多様性が崩れたのが原因だと。
一瞬も飽きなかった2時間のトークの最後、スペシャルゲストのFUNKISTメンバーとKEN子とのセッション。最後の曲は、清志郎のことを話したあと、「サヨナラCOLOR」だった。 ところでこのシンポジウムの途中、ステージの後ろ、路上に面したガラスから国連大学の前でビルマの人たちによるデモが行なわれてるのが見えた。映画『バックドロップ・クルディスタン』もこの場所でのクルド難民家族の座り込みから始まってた。僕は会場を静かに抜け出して、デモを見に行った。ビルマ少数民族シャン族の人たちが、ミャンマー軍事政権により、民主化を求めるリーダーたちが逮捕投獄されたことに抗議してのアピールだということを、参列してるビルマ人に訊いて知った。上の写真のノートは僕が話した女性のノートより。ボールペンで示されてる○はそのリーダーたちが収容されてる場所。国内7箇所に離されて収容されているという。
僕がビルマ民主化運動のことは、「いとうせいこうさんという人のスピーチをきっかけに知って〜」と話すと、彼女たちは「私たちもそれを見ました!」と一気に盛り上がった。「いとうせいこうさん」とフルネームで言えるし、彼の言動がこんなにビルマの人たちを勇気づけてるんだなと知って、この日何度目かの感動を受けたのです。
シンポジウム終了後、僕とKEN子たちは再び、青山の清志郎の葬儀場へ。乃木坂駅を出てみると、弔問の列は昼間と同じぐらいの長さで続いていた。最後尾の案内スタッフに訊くと、いまからだと3時間以上かかるという。だから、僕らは式場の中に入るのは諦めて、入り口から清志郎に感謝の言葉を伝えた。会場には「忌野清志郎青山ロックンロールショーへようこそご来場ありがとうございました〜」というアナウンスと、RCサクセションの曲が流れていた。
そのあと僕はKEN子と缶ビールを片手に新宿を彷徨った。台湾料理屋での生ビールからスタートして、唐十郎のテントがあった花園神社で飲んだり、夜間閉鎖された大久保公園の外で小さな兎を二匹連れた女の子たちに話しかけたり、ネイキッドロフトの店長に会いに行ったり、すっかりダメな酔っぱらいになってしまった。検屍官と市役所は君が死んだなんていうのさ。