R.I.P.

午前4時頃、ベッドの中で携帯の着信に気づいた。ふたりの友だちから清志郎の死去を知らせるメールだった。思わず涙が出た。ベッドの中でよかった。崩れ落ちなくてすんだ。
去年の武道館での快気祝いのワンマンライヴが僕が観た清志郎の最後のライヴになってしまった。初めてRCサクセションのライヴを観たのは、14歳か15歳のときだ。隣の町まで二両編成の電車に乗って出掛けた。僕の町ではRCサクセションのコンサートを禁じていたからだ(その前年に清志郎がステージから撒いたエロ本が問題になったらしい)。中学、高校では『RHAPSODY』と『BLUE』を録音したカセットテープをそれこそすり切れるほど聴いてた。先週も、中野の路上でワインをボトル飲みしながら「多摩蘭坂」について某作家と話したなあ。
上京してからは夏には日比谷野音、クリスマスには武道館でRCサクセションを観るのが慣わしだった。屋根裏も久保講堂にも行けなかった遅れてきたRCファン。東芝EMIが新聞に出した『COVERS』発売中止の広告はいまでも持っている。僕は野音や武道館で知り合ったRCファンの友だちと、東芝EMIへの抗議の署名を集めた。僕が当時通っていた四谷の英語学校のアメリカ人の先生は抗議の主旨文章を英語に訳してくれて、先生たちも署名に協力してくれた。だからその後、音楽関係の仕事に就く僕が赤坂の東芝EMIのビルに入ったのは、その署名の束(1000名以上の署名が集まった)を渡しに行ったときが最初だった。
仲井戸麗市さんと一緒に仕事をしたときは、僕の幸福の瞬間だった! 僕は14歳だったときの僕に自慢したかった! いま僕はチャボさんと仕事してるんだぜって!
迷ったときは、清志郎が僕をみたらどう思うか考える。僕はずっとRCサクセションを聴いてきたのだ。〈大人だろ勇気を出せよ〉って。そのあとに続くフレーズが、これからもずっと僕を動かすだろう。ありがとう、清志郎