初めてのフルマラソン

tuktukcafe062009-03-29

今日、初めてフルマラソンに出場しました。
千葉の印旛沼や田んぼのまわり、42.195キロを走る「佐倉朝日健康マラソン」。僕がこれまでに走った最長距離は去年3月の「湘南国際マラソン」の30キロで(このときはコース設定の都合上、フルではなく30キロのレースだった)、いつかはフルに挑戦しなくてはと思ってたのです。 密かな目標タイムは一般ランナーの最初の憧れ「サブ4」(4時間を切ること)。昨日は緊張してよく眠れませんでした。
スタート地点では自己申告タイム3時間30分〜4時間のグループに並ぶ。出場者は約6000人。最初の10キロは1キロ5分の好ペースだった。まったく辛くない。20キロまでも1キロ5分台をキープしている。
走ってる間は、とりとめのないことを考えています。とはいっても、50文字以上のことを考え始めても脳内のスクリーンに20文字ぐらいまで書いたところでザーッとデリートされてしまう。また最初から同じことを考え始めて同じ場所でデリート。そのループ。記憶力もいつもよりさらに落ちる。「マラソンの得意な宮崎県の知事の名前なんだっけ?」と思い出そうとしてから、名前が出てくるまで5キロの距離を要した。バカランナー。自分の「在庫」の確認は走りながらずっとしています。呼吸、足の動き、手の振り、発汗、いろいろ。 景色はあんまり観てません。前のランナーとの間隔とか道路の状態とかを見てます。でも、「マムシに注意」とか「カミツキカに注意」という警告板には驚きました。噛みつき蚊? どうやって注意するんだろう?
船倉担当の水夫が右足裏の異常を伝えてきたのは20キロぐらいの地点でした。靴の中に小石が入り込んでしまったらしい。着地するたびに足裏を刺す痛みが走る。でも、止まって靴を脱いで小石を取り出すことが、いいペースで進んでいるだけにもったいない気がしてしまい、そのまま走り続ける。レース経験が少ない船長に操られる身体は不憫です。そのうち水夫から「右足の親指の爪もおかしいっす、船長」と、不吉な第二報が入る。「見張りを怠るな」ということしか言えない船長。
25キロ地点では、フィニッシュタイム予想が3時間30分というサインが示されていて、心躍った。初マラソンでそのタイムはすごい。でも、ここから暗雲が立ちこめ、荒波が針路を阻んだ。右足の親指と足の裏の二箇所が着地するたびに痛む。呼吸もスムーズ、心臓も順調に血液を送り出してる、筋肉も文句を言い始めながらも従ってくれている。つまり、右足裏だけの問題。でも、痛みはどうしようもなく、それまでのペースを落とすことを余儀なくされる。
25キロから30キロまでは1キロ6分台。それでも去年の「湘南国際マラソン」よりも30キロ地点では10分以上速い。ところがここで足の裏の痛みは耐え難くなっていた。コースを少しそれて右の靴を脱ぐ。憎たらしい小石を取り出し靴下を脱ぐと、親指と足の裏に血マメができていた。
また走り出してすぐに、やはり異常を水夫が伝えてくる。再びコースを離れて靴を脱いでチェック。ここらで僕はスティーブン・キングの「死のロングウォークごっこをしていた。あと2回、ペースを落として警告されたら僕は射殺される……。
未知の距離、30キロを越えて、一気にペースが遅くなった。7分台、そしてついに8分台へと。老兵は去るのみといった感じで次々に後ろから抜かれていく。でももう追えない。走り続けることが精一杯。35キロぐらいで「サブ4」は無理かもと思った。でもとりあえず歩かなかった。自分の精一杯の速度で走る。20文字以上考える余裕のない僕の脳は、昨日観た『転校生』のエンディング、女子高生たちの「せーの、どん!」を繰り返していた。へんなの。でも、あの残像が僕を前に進める。
37キロ地点で、キロ8分ペースでも(練習でもそんな遅いスピードで走らない)最後まで走り通せば「サブ4」達成可能、という計算結果が出た! 俄然、モチベーションがあがる。スピードも心なしか上がっている。40キロ地点で、残りを1キロ9分ペースで走っても4時間を切ることが明らかになってほっとした。でもゴール前には長い上り坂が待っている。できるだけ貯金をしておくこと。
陸上競技場に戻って「FINISH」と書かれたゴールゲートを見ながらトラックを走ってる最中はさすがに感動した。ゴール! タイムは3時間53分50秒。なんとかサブ4達成! 途中で諦めなくてよかった。