「環境作戦会議」

tuktukcafe062009-03-15

上野水上音楽堂での「バカでもできるもん!! 環境作戦会議」行ってきました。
ホントは「バカ環」サイトに載せられるようなレポートを書こうと思っていたのですが、いざ当日となったらやることと、同時進行で起こってることがいろいろあって、イベント全体を観察している余裕はありませんでした。それだけ自分が「観察する」側ではなく、このイベントを作り、楽しむ側にまわっていたわけで、どんな内容だったのかというのは翌朝の毎日新聞の記事の他、ネットでいろんな人のレポートや日記などを検索しながらパッチワークのようにみんなの記憶を組み立てていくしかないなあって思います。「バカ環」サイトには今後、当日の写真や、とっても高回収率だったアンケートの集計結果が発表されていくそうです。
脚立の天板部分に立っちゃ危ないですよ! 当日、僕はまず早朝からの「ドリームキャッチャーバリケード」の組み立てに参加しました(昨年冬の高尾山での「ドリームキャッチャーバリケード」作りから昨日までの個人的な流れは数日前の日記に記しています)。行政代執行によって国交省に撤去された「ドリームキャッチャーバリケード」が、今年になって返却され、それで上野水上音楽堂をデコレートしてしまおうというプラン。イベントの終盤で「ドリームキャッチャーバリケード」考案者の空間造形作家・三橋玄さんが言ってたけど、ドリームキャッチャーひとつひとつは作った人の想いが編まれていて、それをバリケードとして組んでいく。高尾山から上野へ、そして今度はこれが上関原発計画で揺れる瀬戸内海の島、祝島に受け継がれていく。
百戦錬磨の高尾山の天狗たちに混じって僕も大量のドリームキャッチャーを運び、組んでいき、それを繋げていく。「そこ不可能でしょ!」という高さにもひょいひょいドリームキャッチャーを固定していってしまう天狗たちは流石。ステージ上部を下手から上手へと渡り、舞台前の池に流れ落ち、ステージ前をまた下手方向に這う龍のような上野版ドリームキャッチャーバリケードサウンドチェックが始まる時間になってもバリケード作りは続く。それとは別に、六ヶ所村、高尾山、八ッ場、祝島、沖縄泡瀬、高江など各地の「大問題」を知ってもらうためのブース・スタッフのミーティングが行なわれ、さらにこの日のために作られたアルバム『大問題☆コンピレーション vol.1』の販売ブースのスタッフも僕は兼任してしまったので、僕と同じ組になった人には迷惑をかけながらも、とかげみたいにうろうろする。プロの音楽イベントなら、プロのイベント会社が仕切り、舞台は舞台のプロへ、食事の準備はケータリングの会社へ、警備は警備の会社へとプロたちへと外注してそれぞれがプロの仕事をするんだけど、今回は音響を除いて、他はすべて高尾山チームを中心としたボランティアスタッフが連携して作っていく(警備はいない)。それでいて何も問題はない。
入り口付近のアルバム販売ブースで、スタッフ用の美味しいおにぎりを食べていると、いつのまにか渋さ知らズオーケストラの演奏が始まっていた。今日は夜、横浜で自分たちのライヴが先に決まっていたのに、「バカ環」のためにオープニングなら大丈夫と出演を快諾してくれたそうだ。演奏後半、不破さんが客席に下り、それに続いてダンサーたち、管楽器奏者たちも会場を練り歩く。渋さ知らズに言葉はないけど、僕はあの瞬間、いつも中川敬山口洋による名曲「満月の夕」の中の「解き放て 命で笑え」というフレーズを連想してしまう。そう伝わってくる。音楽は人に生きてることを実感させ、踊らせ、言葉にならない声を上げさせる!
反対する人がいて係争中なのに工事を無理矢理進めてくるのは、高尾山のトンネル工事だけでなくて、沖縄の泡瀬干潟とか高江とか辺野古とか、日本各地いろんな場所で起こっていて、重機での圧倒的な破壊力に、素人でも軽やかにできる抵抗方法を考えるために、六ヶ所村から沖縄まで「大問題」の現場で活動してる人たちが集まってのトークセッションが続く(沖縄代表のKEN子那覇発の飛行機に乗り遅れて遅刻! でもトークセッションのロスタイムに、「アワセマモラセロ」と「タカエスワラセロ」プラカードを持ってギリギリの到着! その登場の仕方だけでも泡瀬干潟と高江の危機は伝わったよ)。
この「バカ環」に来てくれた人たちは個々の大問題についてはすでに知っているという前提で(詳しくは「大問題ブース」で説明や資料を受けることができる)、じゃあどうすればいいのかということが討議される。
世間に広く知らせたいけど、破壊のスピードに対してもうそんな余裕はない、というせっぱ詰まった事情がある。だけど外の人から「がんばってください」と励まされても、ずっとがんばり続けてる人たちの力では解決できない。だからといって、そこで暮らす人にはその土地でのリズムがあり、外から張り切って乗り込んで行っても齟齬が生まれる。その土地を知り、土地のリズムに身をゆだねること。無知であることは恥じることじゃない。問題を知ったときに、素朴でいいので自分が感じた疑問、感想を口に出してみる、等々。
去年の春、ある映画のトークショーで「“カルチャー・ジャミング”がひとつのキーワード。メディアの盲点を個人レベルで突くことでマスに考えさせるきっかけを与える。(中略)思ったことをすぐに、直接発することはヒップホップと繋がる。価値観は住んでる環境で人まちまちなのが当たり前。その当たり前の現実をきちんと受け止めて発していくこと」と習ったこと、今年初めの高尾山の「望年会」で「うかつ主義」という言葉に感じたこと、先月のシンポジウムでマエキタさん言っていた「自分が知ったことはもったいつけずに、さっと渡してあげればいい」という言葉などが、トークを聴いてるうちに自分の頭の中でどんどんリンクしていく。
この日のために作ったコンピレーションアルバム販売ブースが僕の担当現場のひとつでした。 他にもいろんなトークセッション、美味しい食事、訪れてくれた友だちとの会話、ブースで知った群馬・八ッ場のこと、のぞき見したUAの高江ライヴ映像でのUAの言葉など、得たものがたっくさんあった。
イベント中盤に登場したラビラビのライヴ、すごくよかった。今回、今日のためのアルバム作りのためにメールで歌詞やクレジットのやりとりをしていたのだけど、実は昨年冬、高尾山の「和居和居デッキ」でドリームキャッチャーを作っていたとき、山を越えて、演奏しに来てくれたのがラビラビだった。
風義さんのライヴにはKEN子も加わって歌った。KEN子は今年1月、沖縄の高江を訪れていた風義さんと偶然出会い、那覇で彼のライヴを観て、今日のステージで一緒に音を奏でる。KEN子が歌ったのはすべりだいの「愛(めぐみ)」。ゆめやえいこさんのパーカッション、もうひとりベースを加えて4人編成。歌う前のバンド・セッティングの合間のもう1秒もムダにしないという感じのKEN子のトークもすごかった。KEN子が関わってる沖縄・泡瀬干潟に関する国会への陳情に、諫早湾を守っている人たちが、「泡瀬が勝てば諫早も勝てる」と全面的にバックアップしてくれたこと(そして、那覇地裁「経済的合理性はない」という判決を下したのに泡瀬干潟の埋め立ては強行されている!)、沖縄の現状をギャグも交えてフルパワーで喋って、歌う。すげー。
とにかく、僕らが編んだドリームキャッチャーの下で、渋さ知らズをはじめ、すでに好きだったり、これから仲良くなりそうなミュージシャンたちが歌ってるのがとても嬉しかった。ラビラビのニューアルバムも買った!
イベントのエンディング。ドリームキャッチャーバリケードにキャンドルが灯され、HARCOが「キャンドルナイト」という歌を歌い、三橋玄さんが話し、ステージのスクリーンにはこの日、会場で撮った写真が次々に流れ、詩人ウチダゴウさんのポエトリーリーディングで「バカ環」は「おしまい?」になった。そのときのウチダゴウさんの言葉がとてもよかったので、一部をここで紹介します。
〈今日ここに集まったみんなは 特別なひとたちではありません 今日ここに集まったことも 特別なことではないと思います でも、それでいいんです 特別なひとが特別なことをするのではなく なんでもないひとがなんでもないことを当たり前にやる そのことのほうがよっぽど大切です それができたら、ぼくらの今日はこれからもちゃんと続いていくでしょう〉
追記
公式サイトの詳細レポート
http://ameblo.jp/bakademokankyou/theme-10011781073.html