ミニコミ「K8」

夕方まで自分の原稿の校正作業に向かうものの、どうにも集中できない。なんだか試着室の中で自分の姿を鏡で見なくちゃいけない気分に似てる。友だちの某ミュージシャンに、「自分の文章を校正するってことは、自分のライヴ音源をミキシングする作業と似てます?」なんてメールをして、その返信に励まされて作業を再開するものの、どうにも煮詰まってしまい、中断、中断! 洗濯物を干した部屋の中に居続けるのもどうもイヤなので、夕飯は外で食べることにした。
環七を途中で雨に降られながらも、高円寺の「VEGEしょくどう」まで歩いていく。水曜日の午後だけオープンする食堂。
ドアを開けるとカウンターと、奥のソファ席と窓際のテーブル席は埋まっていて、二人用の小さなテーブルを使わせてもらう。でも、僕のすぐあとに店に入ってきた女性(Nさん)が、つい先日の「ないかくだとうデモ」でもお会いした方だったので、同席することになりました。僕はビールを飲みながら、Nさんはお茶を飲みながら、ほぼ同年代なこともあり、じゃがたらボガンボスについて話しました。僕はじゃがたらにギリギリ間に合わなかった。ボガンボスはデビュー前からライヴの追っかけ。好きな音楽が共通言語になる会話は楽しい。ご飯も美味しかった。
帰り道、高円寺文庫センターにふらっと入ると、サヨコさんとOTOさんが表紙のミニコミが目に入った。奥付の発行日を見るとなんと「明日」だ。発売前夜に店に並んだということだろう。じゃがたらやボガンボスの話をしてた直後に、サヨコさんとOTOさん表紙のミニコミ。こんな「引き合わせ」に会ったなら買わないわけにはいかない。タイトルは「K8」。千葉県の長生村というところでインドカリーと絵本のお店を3月12日に開店する「こだまや」さんの店主が編集、発行したミニコミらしい。
サヨコさん、OTOさん両インタビューとも20ページを越えるロングインタビュー。リードには、このインタビューが1年以上前に行なわれたものであることが告げられており。しかし、〈(インタビュー内容が古くなってることに)心配はご無用である。それどころか、昨年十月来の世界同時金融恐慌のために、読者は両氏の発言をよりリアルに捉えることができる、と確信さえしている。それは、両氏が「時代の先を読んでいる」といった類のことを意味するのではない。ゼルダじゃがたらの残した音楽が、過ぎた時間とは関係なしに、今尚心に訴えかけてくるのと同様、両氏の発言が時間を超えたメッセージ性を持つからである。つまり「普遍的」なのだ〉と書いている。実際に読んでみて、「普遍的」かどうかはともかく、いまの僕にはぴったりジャストなテーマだった。
僕が田舎から上京して初めて観たライヴは、新宿ロフトでのゼルダだった。サヨコさんは中学三年生でゼルダのボーカリストになった。ゼルダの初期作品は80年代ニューウェイヴな東京の象徴だった。ゼルダ東京の埋め立て地を歌っていた。僕が仕事でサヨコさんと関わるようになったのは90年代後半のソロ・アルバムの時代。2000年発売のアルバムには編集者として関わった記憶がある。OTOさんと初めて喋ったのは、2006年、サステナの事務所でのミーティングだった。それ以降、昨年秋の「土と平和の祭典」など、高尾山や六ヶ所村関連のイベントなど様々な場で会っています。
僕が直にキャッチできなかったじゃがたら江戸アケミのメッセージや80年代ニューウェイヴから、現在のサヨコオトナラの環境問題、オルタナティヴな在り方への積極的なコミットメントへの流れをしっかりと追った「K8」のロングインタビュー。こういうインタビュー、僕もやりたかった! インターネットではなく、印刷代、配本など手がかかる「本」で出そうという心意気もいい。文字組も読みやすいです。機会をつくってお店にインドカリーを食べに行きたい!