ネオ・トロピカリアの想像力、創造力

東京都現代美術館での宮沢和史記者会見に行ってきました。宮沢和史が12月4日上梓した『BRASIL-SICK』(双葉社)発売記念。会場が都現代美術館というのは、いまここで「ネオ・トロピカリア:ブラジルの想像力」という展覧会が開かれていて、ブラジルに縁の深い宮沢和史カエターノ・ヴェローゾのメインイメージと共に、同展のポスターに登場しているからだ。
「トロピカリア」という言葉について、同展のプレスリリースでは以下のように説明している。
〈ブラジルでは60年代に欧米文化から脱し、独自の文化の創造を目指し「熱帯に住む者の文化のオリジナリティ」をうたった、トロピカリアという芸術運動が興りました。〉
この運動の音楽面でのリーダーのひとりが、前述のカエターノ・ヴェローゾ。勝手ながら僕は、宮沢和史のことを「北半球のカエターノ・ヴェローゾ」と思っている。同ポスターで宮沢の身体を覆っている鮮やかな色のケープは、このエリオ・オイチシカの作品。トロピカリア運動のアート側の牽引者だった彼は「生きることはアートそのものだ」と語っていたそうだ。
宮沢和史は今年ブラジルに関する2冊の本を出している。2008年6月にマガジンハウスから出版された『足跡のない道』。これは今年の春、ブラジルでの日系移民の歴史を辿った旅の記録。そして、7月にブラジルツアーを行ない、このときの文章、写真(仁礼博)などをまとめたものが、今回の『BRASIL-SICK』(双葉社)だ。
宮沢和史にとって、2008年は大きな意味を持った年だった。いまから100年前の1908年6月18日は「移民の日」。初めての日本人移民団を乗せた笠戸丸がブラジルのサントス港に入港し、日本人のブラジル移住が始まった日。その100周年にあたる2008年にブラジルでツアーを行なうというのが宮沢の夢だった。宮沢にとってのブラジルへの旅は1994年に始まった。僕も1996年、THE BOOMとしてのブラジルツアーに写真集スタッフとして同行した。『BRASIL-SICK』で表紙に使われている写真はこのときバイーアで撮られたものだし、同書の中にもそのときの写真が多く使われている。
日系移民の存在を強烈に感じたのもそのときの旅(正確にいうとサンパウロで)だったし、僕自身のルーツも考えるきっかけとなった(僕の曾祖父はアメリカへの出稼ぎ労働者だった)。僕はその後、ペルーやボリビア(「オキナワ」という日系移民の居住地もある)も訪ねた。宮沢和史は1996年に『極東サンバ』をリリースしてからブラジルでのレコーディングやライヴを精力的に重ねていた。2006年には、以下のように「夢」を語っていた。
宮沢 ブラジルというところは夢を見ちゃうところ。いいも悪いも。みんなブラジルに渡ると夢を見るし、大きなことを考えて、それで成功したり失敗したり。俺も同じことをしてるのかもしれないけど、ブラジルで俺の歌を知ってもらいたい。ブラジルでやり始めて10年ぐらいになるけどでもまだまだで。同世代のロック・ミュージシャンたちには「日本にMIYAZAWAというミュージシャンがいる」というのは徐々に知られてきてはいるんだけど、一般の人にはまだまだです。ライブをやっても1000人ぐらいの動員が精一杯で、ドカーンとうまくいったこともない。地道にずっとやってきて、でもまだ挑戦したいと思ってる。だけど、この10年、ブラジルはすごくいろんな勉強をさせてくれた。歌う喜びを教えてもらった。楽しい歌の底には悲しみがある。悲しみの裏返しに明るさが出るということもブラジルに教わった。
アルベルト 南米の音楽は独特ですね。沖縄の音楽もそうだけど。
宮沢 そうだよね。そういう歌の深さを教えてもらって、自分なりに返したいという気持ちがあるんです。沖縄に「島唄」を作ったのもそういう意図だった。2008年、俺たちの大先輩たちが日本から海を渡ってブラジルに到着して、苦労してきて100年。この記念日はあと何万年経っても1日しかない。その日にはやはりブラジルにいたい。そしてブラジルにいるんだったら(笑)、歌を歌いたい。
「エセコミ」37号のアルベルトとの対談より抜粋)
夢を実現するために、宮沢和史は新たなバンドGANGA ZUMBAを組み、今夏、クリチーバ、サントス、サンパウロ2公演、リオデジャネイロでのツアーを成功させた。秋には、今度はブラジルからジルベルト・ジル(カエターノと共にトロピカリア運動の立役者であり、今年春までブラジル文化大臣を務めていたミュージシャン)を招聘し、豊田と横浜でフリーコンサートを開催した。JICA横浜 海外移住資料館では、「宮沢和史とブラジル〜これまでの100年、これからの100年」という展覧会も開かれた。
前述の書籍『足跡のない道』(マガジンハウス)と、『BRASIL-SICK』(双葉社)では、宮沢和史の2008年のブラジルとの関わり、想いが文章と写真によって濃厚に伝わってくる。
この日、宮沢和史は現代美術館の中、エルネスト・ネトの透き通るような薄く白い布を使ったインスタントレーションが展示された吹き抜けのギャラリーで、マイクを使わず生のギターと生の歌声で、2008年のブラジルツアーのために作った「足跡のない道」を歌った。メディアのビデオやカメラが並ぶ前で歌を歌うという記者会見ならではの状況だったけれど、ブラジルのアートに包まれた空間から、地球の反対側、ブラジルへもその歌声は照射されてるように僕には思えた。
「生きるために生きてるように感じた、ブラジルの人たちの躍動感の源を知りたい」と、宮沢和史は記者会見で、ブラジルに惹かれ「続ける」理由を語っていた。躍動する人に、音楽に、アートに惹かれ続ける。それがネオ・トロピカリスタ宮沢和史の創造力の源だ。


足跡のない道

Brasil-Sick(ブラジルシック)