GANGA ZUMBA@ZEPP TOKYO

7月のブラジルツアーを終えて、昨日が大阪で、今日が東京での「凱旋」公演。
日本から最初の移民団(笠戸丸)がブラジルへ渡って今年が100周年。その2008年に、ブラジルをツアーしたいというのは、宮沢和史がブラジルの日系社会と深く付き合うようになってからの大きく、大切な夢だった。
1994年に初めてブラジルを訪れ、96年にTHE BOOMで3都市をツアー、97年にはソロアルバムをレコーディング(全編ポルトガル語でブラジル・リリースされた)。その後も、レコーディングやライヴなどで、もう30回は越えてると思われる、宮沢和史のブラジルへの旅。
最初のレコーディングを共にした、マルコス・スザーノ、フェルナンド・モウラは、いまや宮沢のバンド、GANGA ZUMBAの一員だし、ブラジルの隣国アルゼンチンで出会ったクラウディアもいまはGANGA ZUMBAのメンバー。
僕はずっとその道を追いながら、でも数年前から事情があって道を外れ、この夢の実現を一緒に味わうことができなかった。だからこそ、ツアーを終えたMIYAが、アマゾン川河口の町で書いた「長い間見てきた夢がひとつ終わりました」という言葉の重さをとても強く感じたし、今日、アンコールの「足跡のない道」のあとのMIYAの姿を見て、新たな一歩への決意の言葉を聴いて、胸を熱くしました。
GANGA ZUMBAの先月のブラジルツアー、最後の会場は、リオデジャネイロのカネカウォン。1996年5月19日、もう12年も前のことだけど、僕はMIYAと同じ会場で、カエターノ・ヴェローゾのライヴを観ました。あのときMIYAはカエターノの姿をステージに観ながら、自分が同じ舞台で歌うことも想像していたのかもしれない。たぶん、MIYAはこれからもカエターノのように、革新的で、粋なミュージシャンであり続けると思う。北半球のカエターノ・ヴェローゾ宮沢和史
追記
2005年に東京でカエターノ・ヴェローゾのライヴを観たときと、2006年にカエターノの息子、モレーノのライヴを観たときの、僕の日記はこちら