「継承」ということ

僕の頭ん中には消しゴムがあって、というのウソで、突然鳴り響くテーマソングみたいのがあって、ビースティーの「Fight for your right」だったり、RCサクセションの「明日なき世界」だったりする。
〈奴らは俺がおかしいと言う/でも本当のことはまげられやしねえ/政治家はいつもゴマカシばかり/法律で真実は隠せやしねえ/そりゃ デモをするだけで平和がくるなんて/甘い夢など思っちゃいねえさ/でもよォー 何度でも何度でも/おいらに言ってくれよ/世界が破滅するなんて/嘘だろ〉(明日なき世界)
青い? でもそれも性分。僕はただ楽しくパーティを続けたいだけなのだ。Fight for your right to party!
前にもどこかで書いたけど、僕が音楽業界に初めて足を踏み入れたのは、この曲も収録されたアルバム『COVERS』が「素晴らしすぎるから」というとんでもない理由で、東芝EMIからの発売が突然中止になったからで、あったまにきた僕は友だちと署名を1000人分ぐらい集めて東芝EMIに持っていったのさ。さっさとアルバム出せ、と。
そりゃ親会社が原発作ってて、このアルバムでは「原発なんていらねえ」と歌っていて、そんなの理由に発売拒否できないから「素晴らしすぎて発売できません」だなんて新聞広告打って。そんなの納得できないさ。
あの頃のRCサクセションのライヴは凄かった。各自、録音自由。どんどん広げてくれと。テレビの生放送でその曲を放送自粛したFM東京を罵倒する曲を突然歌い出したり(「タイマーズ」という覆面バンドでだったけど)、痛快だった。
デモとか署名で世の中が変わるなんてそんな甘い夢など僕も思っちゃいない。合法的なデモでも違法に逮捕される世の中だし。
でも、黙って諦め続けるのもシャクだ。僕は中学の頃から清志郎を聴いてきたのだ。ただ回復を祈るよりも、清志郎に恥じない活動を、彼がベッドの上にいる間にしたいもんだ。大人だろ、勇気をだせよって。
shing02が先日ライヴをした沖縄本島の北部、やんばるの森の中、高江でも米軍のヘリ基地を造るための工事が動きだした。
こういう不穏な動きは「辺境」から起こって、東京発の「マスメディア」が取り上げるスペースはないか、小さいものだし、それを自分の問題として考えることはあんまりない(僕だって、shing02や友だちが高江と関わってなかったら気づいてなかったと思う)。
「うかつPROJECT」が第一回の活動で微力ながら全力で賛同した、沖縄の泡瀬干潟の埋め立て反対問題も同じ。友だちのミュージシャン、KEN子が関わってなかったら僕も知らなかったはず。
泡瀬干潟こんな感じの美しいところ。 8月5日、KEN子のblogに、この泡瀬でいよいよ埋め立て工事が始まってしまうという緊急速報が!
http://kenkokenko.ti-da.net/e2240155.html
そして、8月6日午前4時1分には、泡瀬のバリケード(埋め立て工事を防ぐための)前の野外テントで、「原稿(KEN子はミュージシャンであり、ライターでもある)書いてまーす」との報告あり。でも、沖縄市市長からすでに退去命令が出てるので(※8月8日訂正、「沖縄市が、座り込み場所が市道の一部であることを資料で示し、口頭で移動を要請した」←沖縄タイムスによる、だそうです)すぐにも撤去されてしまうかも、とのこと。
ちなみに、8月6日、泡瀬のバリケード前の「海を守ルンジャー☆」の予定は、朝6時30分からラジオ体操、7時からライヴ、8時15分に広島に向かって黙祷、だそうです。
http://kenkokenko.ti-da.net/e2240657.html
僕は心の中での座り込みを続けながら、この問題を知らない人に伝え(それがいちばん難しい)、諦めずに(楽しく)海を守る方法を探そう。
例えば、辺野古の海では、住人たちの埋め立て反対運動を、アーティストたちはTシャツをデザインし、ミュージシャンたちは音楽でサポートしてる。
8月6日だからその繋がりで山口洋さんの昨日の日記を紹介。
http://www.five-d.co.jp/heatwave/blog/index.php?id=08080005
2005年7月、山口洋は阿蘇で、ある写真展のための音楽を創った。写真家・宮本佳子さんによる広島の被爆者60人の肖像写真と証言。展示会のタイトルは『継承』。現在、web上でその写真と証言が見られるようになっている。
前述の山口洋の日記によると、〈撮影した宮本佳子が心がけたのは、「それぞれの被爆者の皆さんが、遺影にも使えるように、できれば笑顔で、カメラに向かって欲しい」という、俺が一生かかっても云えないようなむこうみずなリクエストだった。結果、写真に刻まれたそれぞれの「笑顔(そうでない人も居るけれど、きっとそれはその方にとっての笑顔なのだと僕は思っている)」が圧倒的な力で僕に迫ってくるのだった。その笑顔の中には堪え難い経験を乗り越えて、「espoir」にたどり着いた深い深い表情がいくつもある。〉
美しい自然も、悲しい記憶も、愚かな行為の跡も、人類の貴重な財産であり、それは「継承」されていくべきだと、僕は思う。
今朝の「琉球新報」(沖縄の新聞)のweb版に、同じく「継承」を主題とした那覇の美術家、山城知佳子さんの写真がが広島での「ヒロシマ アート ドキュメント 2008」で展示されるという記事が載っていました。
こちらは原爆の被爆者の写真ではない。〈沖縄戦体験者が高齢化し減少することで記憶を継承できなくなり、歴史が風化することを懸念。(中略)那覇市内のデイサービスセンターを訪ねた。記憶の悲しみから戦争体験を口にできないお年寄りに、顔などに触れてもらい「言葉ではない平和への思い」を感じ取った瞬間の山城さん自身の表情を写真に収めた〉ものだそうです。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-134913-storytopic-6.html