移民の日

〈1908年4月28日、ブラジルへ向けた第1回日本人集団移住者を乗せた移民船「笠戸丸」は、約2ヶ月間におよぶ航海を経て、6月18日にブラジルのサントス港に入港します。これが、集団による日本人ブラジル移住の始まりです。〉
横浜・海外移住資料館HPより
2008年6月18日は、ブラジルへの日系移民100周年記念日。ブラジルの日系社会(現在、約150万人の日系人がブラジルで暮らしています)では様々なイベントが開催されます。日本でも、今年を日伯交流年として「BRASIL 2008」というサイトでイベント情報などが随時掲載されています。
僕が「移民」に興味を持ったのは、たぶん中学の頃だったと思う。小学生の頃は、トム・ソーヤがハック・フィンらと無人島に渡ったように、そんな無邪気な「冒険」に憧れていた。外国に行くことを意識したのは、親戚から中学の入学祝いにもらった小田実の『何でも見てやろう』という本であり、「移民」を意識したのは僕の曾祖父がカリフォルニアへの出稼ぎ移民(約20年間)だったとその頃、初めて聞いたからだと思う。
ひとりでの行動手段が自転車ぐらいだった当時の僕には「外国」は想像の世界の向こう側だった。外国に行くには、貨物船に潜り込んで密航するしかないのかもと考えてた時期がある(まったく鎖国時代の人か!)。中学2年の頃には現実的に「留学」を考えていたらしい。僕はすっかり忘れていたけど、どうも祖父に直訴してたらしい。それがうやむやになってしまったのは、自分のせいなんだろうけど(読書だとか音楽だとか「ガンダム」だとかラジオの深夜放送に熱中しはじめた)、いまでもちょっと残念に思う。
そんなわけで初めて海外に住んだのは、18歳のときのサンフランシスコだ。
最近インタビューさせてもらった友部正人さんが「(サンフランシスコから)大陸をバスで横断してニューヨークにたどり着き、日本食レストランでアルバイトしたりして過ごしました。すっからかんになってしまったからです。一週間働いたら100ドル以上にはなりました」と話していましたが、僕は逆ルート。
ニューヨークからグレイハウンド・バスで南下して西に向かって辿り着いたサンフランシスコで働き始めました。最初はJAPAN TOWNの寿司屋で働いて、英語が話せなかったから一日でクビになったんだ。
とにかく僕はこのサンフランシスコにいた約5ヶ月で日系移民に強い興味を持った。
決定的なのは1996年、THE BOOMのブラジルツアーだ。特にサンパウロでの奇跡のライヴサンパウロで僕は何人かの移民と出会う。僕にしてみれば、地球の反対側、言葉も文化もまったく違うブラジルで暮らす覚悟をするなんて大変なことだ。でもサンパウロで出会った床屋さんは、「火星に行くわけじゃないし、人間、水と空気があればどこでも同じだよ」と言った。
フォトグラファーの中川正子さんが最近自身のblogに書いていた「外国のひと」という文章がある。いまうまく説明できないけど、僕もこういった人たちに憧れる。〈それぞれの国にはひとりずつしか国民はいなくて、みんなそれぞれのかっこいい旗を掲げる。〉
その後、僕は海外の日本人町を訪ねる旅が好きになった。例えば、南米ボリビアのオキナワ。最近でもキューバへの移民を描いたドキュメンタリー映画や、岡村淳監督が追ったブラジルへの移民を撮った作品を観に行ったりしてる。いつか自分の曾祖父の辿った道を訪ねてみたい。


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昨日、買った本。
〈祖国を遠く離れたブラジル移民の歴史を辿り、「命の源」ともいうべきブラジルの今を探る、真実の旅の記録〉との帯。
今春、宮沢和史(文章)と中川正子(写真)のブラジル取材紀行本。宮沢和史はもう30回ぐらいブラジルに行ってるはず。今夏は宮沢和史がボーカルを務めるバンド、GANGA ZUMBAがブラジルをツアーする。