国境なき音楽団

僕は先々週のライヴの感想として、GANGA ZUMBAは彼らのファンが集まる単独ライヴよりも、MIYAが路上からバンドを始めたように通りすがりの人を巻き込んだアースデイみたいなライヴの方が彼らのリズムに絶対合うはず、と書いたんだけど、……なんだけど、昨日のSHIBUYA-AXでのワンマンライヴはワンマンなりの良さが予想以上にあった。あり過ぎ。
アースデイでの、短い演奏時間でも通りすがりの人の足を止めさせ、踊らせる選曲とは全くちがう、ワンマンならではのメニュー。新曲もたくさん聴けた。ブラジル色が強い。でも、MIYAはライヴ中のMCで言っていたように「ブラジル人になりたいわけではない」。「ブラジル音楽は入り口は広いのだけど、中に入ると迷路のようになっていて、ブラジル音楽を好きになってもう14年になるけどいまだに、ブラジル音楽とは何か、なんて語れない」という。もちろんライヴはブラジル色だけではない。
3曲目では「I just believe in Rock'n Roll」というフレーズが繰り返される。でも、それを奏でるGANGA ZUMBAはロックンロール編成のバンドではない。マルコス・スザーノポルトガル語のリーディングも途中に挟まれる。
GANGA ZUMBAのメンバーは、日本、ブラジル、アルゼンチン、キューバ出身の11人。それぞれがリーダーであるバンドを別に持ち、各メンバー名義、あるいはそのバンド名義のアルバムも出してる。そんなバンドなかなかないと思う。クラウディアは沖縄出身の両親を持つアルゼンチン育ちだし、今日の後半に披露された沖縄民謡をGANGA ZUBMAでカヴァーした曲は、「ちむぐり唄者」以来の新たな沖縄ダンスアンセムになること必至!
マルコス・スザーノが操る打楽器パンデイロは、ドーナル・ラニーギリシアの弦楽器ブズーキをアイリッシュ音楽に持ち込み革命を起こしたように、タルヴィン・シンがインドの打楽器タブラを在英インド人のダンスミュージックをローカルからグローバルなものに広めたように、あの重低音は、GANGA ZUMBAのリズムに欠かせない。GANGA ZUMBAボサノヴァやサンバだけではない、革新的な音。
ツアータイトルにもなってる先月発売のシングル「シェゴウ・アレグリア!〜歓喜のサンバ」の中の「喜びは分け与えられるひとに降りてくる」というフレーズは、小沢健二が歌った「喜びを他の誰かと分かりあう! それだけがこの世の中を熱くする!」(「痛快ウキウキ通り」)と同じ考え方!
思えばGANGA ZUMBAには国境も言語の壁もないように(歌詞には日本語、英語、ポルトガル語スペイン語うちなーぐちなどいろんな国の言葉があり、あるいは混在する)、「国境なき音楽団」(昨日思いついたキャッチフレーズ)の「国境」を「ボーダー」→「ジャンルレス」と読み解けば、GANGA ZUMBAがジャンルではなく、アティテュード(姿勢)としてロックンロールを信奉していると理解してもいいのかも。11年前にMIYAがジルベルト・ジルから得た答えのように。
来月発売のシングル曲は、MIYAとクラウディアふたりが三線を持った。タイトルは「足跡のない道」。今年は日本人がブラジルに移民して100周年になる。1996年に初めてブラジルをツアーして、それ以来の夢であった移民100周年の2008年のブラジル・ツアーがGANGA ZUMBAで今年7月に実現する。そのツアーのテーマソングともなる歌。
「100人いれば100通りの、1000人いれば1000通りの移民史がある」というのがこの日のMIYAの言葉。何十回もブラジルに通い、多くの移民に会っての言葉。僕もこの歌を初めて聴きながら、自分がこれまでに会い、本を読み、映画を観て、調べてきた移民史の数々が頭の中を去来する。
二度目のアンコールのときかな(ひと晩たってしまったので記憶が確かじゃない)、「『島唄』を作ったときも、このバンドを始めたときも、いろんな非難をされました。でも僕は怖くない。それは君たち(客席の僕ら)がいるからだ。僕は夢を描き、そこに向かって走っている途中。人生は白い画用紙でもう筆をそこに置いてしまっている。だから描き続けるしかない。もし君たちが道に迷って、不安になっても怖がることはない。そのときは僕たちがいるから」ということを話した。
もちろん僕のいかれた記憶からキーワードを紡ぎ合わせたものだから正確ではないけどこんなニュアンスの話。先日のいとうせいこうの言葉、「暗示の外に出ろ 俺たちには未来がある」というキーワード(それはキーチップとなってもう僕の脳の中に組み込まれた!)と同じく、僕には希望の言葉。WONDERFUL WORLDへ。