いとうせいこうの声明に応答

我々もまた彼らである
彼らはまた我々である
LET'S DANCE!
いとうせいこうポエトリーリーディングが、演説が、説法が、なんでもいいや、とにかく言葉がDJ BAKUのビートに乗ってそこまで来たとき、僕らはたまらず立ち上がり、ステージに駆け寄り、ダンスした。声をあげた、手をあげた、少し泣いた。
ボ・ガンボスの日比谷野音、ニューエストモデルの渋谷公会堂でもこういうことがあったなと一瞬思い出したけど、あの瞬間のいとうせいこうの、あえて言うならば「挑発」に無抵抗でいることはできなかった。応答する。
いとうせいこうの4月19日、代々木野音のステージでの「声明」が彼のblogに発表された。
映像のノーカット版は、こちらで観ることができるが30分以上あるので、上部のYouTube編集版がお勧め。
映像を観てもらえるとわかるけど、blogに掲載された「声明」が、この日のいとうせいこうの言葉の全てではない。彼の小説「解体屋外伝」からの「暗示の外に出ろ。俺たちには未来がある」というフレーズが引用されている。また、後半は、DJ BAKUの最新アルバムにいとうせいこうが参加した曲「DHARMA」に繋がっている。
私はここに『善のネーション』の設立を宣言する。
『善のネーション』はありとあらゆる衝動的な善を肯定する。
『善のネーション』は自己の破滅をおそれずに、善を行う。
あたかも悪を行う者が自己の破滅をおそれないように。
最高のアクトだった。一生もの。生涯忘れられないライヴ。もし僕が忘れたら誰でも僕を殴打してよし。
その「声明」は、例えば、全盛期には7時間もぶっとおしで演説したというカストロの伝説に比べたら(聴くほうもすごい体力だ)、まったくシンプルなメッセージの反復だ。韻なんかひとつも踏まない。途中までいとうせいこうだって椅子に座り、譜面台に貼られた声明を読み上げている。でもそれがビートに乗り、圧倒的な説得力で、僕らに応答を呼びかける。
「暗示の外に出ろ。音楽には未来がある」とも言った。僕は思う。言葉にも未来がある。力がある。パティ・スミスの「PEOPLE HAVE THE POWER」という言葉も連想する。
だから対話せよ! 対話せよ!
そして、対話のためにこそ伝え合え!
言論の自由と、報道の自由はこうして、威嚇と殴打と投獄と殺害を防ぐためにある
対話せよと言い、伝え合えと訴えることは、威嚇と殴打と投獄と殺害の目の前に立ちふさがることだ
「1980年代はスカだった」と言われる。あるいは、自嘲気味にそう言う。でも、僕にとっては80年代が乾いたスポンジが水を吸収していくように、あらゆるものから刺激を受けて、学んでいった時代だった。そういう年齢。もちろん、僕の長距離走の力が日々伸びていくように、この歳になっても僕は誰かがどこからか発信するものを受信するアンテナを磨いていきたいし、それに瞬時に反応、応答する力や知恵や勇気を持ちたい。ボブ・ディランの言葉で言えば、「YOUNGER THAN YESTERDAY」。それは不可能なことではない。だけど、僕にとって10代の旅や、80年代に読んだ雑誌、佐野元春の「THIS」であり、いとうせいこうが当時どこかの雑誌に書いた反原発の自宅闘争マニュアルや、三田格さんのKLFの活動エピソード解説記事は特別なもので、自分の体幹部分に今でもある(もちろん他にも数々の本、映画、音楽、友人なども)。なんていうのか忘れたけど普段は農民などに化していた忍者たちが報によって突然蜂起するように、いとうせいこうのこの日のアジテーションに、僕のそれは瞬時に応答する。
そういえば僕が初めて音楽業界に文字通り足を踏み入れたのは、RCサクセションの「COVERS」発売中止に抗議する署名を集めて、東芝EMIに届けに行ったこの頃だった。僕らは1000人近い署名を集めた。でも、東芝EMIにその束を届けに行ったのは、僕と、同じくRCファンだった女の子の合計ふたりだけ。東芝EMIが何の心配をしたのかその日、ビルの前に集めていた屈強な警備員は僕らの5倍はいたね。その数年後、縁があって僕は音楽関係の仕事を始め、15年ぐらいは続け、東芝EMIとも仕事をしたことがあったけど、「3000人制のバレーボール」を続けてると、結局誰もボールを拾わないよ。見合ってる真ん中にボールは落ちたり、見てもいなかったり。……話がそれていく。
とにかく。この4月に僕はいろんな刺激を受けて、応答していく。ようこそ、おかえりなさい、自分。アースデイでは久しぶりに高野寛さんとも話せた。「確かな光」だって、ある。
いま、高野さんの日記を見たら、またちょっとグッときてしまった。
僕は10代の頃、アラン・シリトーの「長距離走者の孤独」という小説が好きだった。この歳になって長距離走を始めた。実際に走ってみるとわかることもある。清志郎が「COVERS」でジョン・レノンの歌詞を訳したように、長距離走者ですら、「ひとりじゃない」。暗示の外に出ろ。俺たちには未来がある。