『アレクセイと泉』

アレクセイと泉 [DVD]

アレクセイと泉 [DVD]

夕方、武蔵野美術大学へ。
先月と同じく関野吉晴さんの授業(特別公開講座)です。
今回は映画『アレクセイと泉』の上映と監督の本橋成一さんの講演。 僕の映画を観る際の常としてまたしても前情報なしで行ったのですが、今回はそういった問題以前の大失敗。開始の時間16時30分を午後6時30分と間違えて、教室に入ったときは映画の上映は終了し、これから監督の講演というタイミングでした。関野さんが本橋さんを紹介して(先日ここで観た『ナージャの村』も彼が監督している)、『アレクセイと泉』のメイキング映像が流れました。なんといっても僕は本編を観てないので、このメイキング映像から大筋をつかまなくては話についていけない。ドキュメンタリー映画『アレクセイと泉』の撮影地は『ナージャの村』と同じくロシアらしい。チェルノブイリ原発事故で汚染された村。
本橋さんは1940年生まれ。家は東中野の本屋さんだったそうです。
写真を撮り始めたのは土門拳の影響。「土門拳は知ってるよね?」と学生たちに訊いていたけど、こういった写真家の名前が共通言語になる美大っていいなあって思った(あと、僕の机にリンゴが落書きされてたんだけどそれも美大っぽかった)。本橋さんは土門拳が鉱山の町の暮らしを撮影し、ザラ紙に印刷した100円写真集(!)「筑豊のこどもたち」に感銘を受けたそうで、自身も写真家を目指し、何度も筑豊に通ったそうです。
筑豊を撮ろうと決めた若き本橋さんは「追われゆく鉱夫たち」というルポルタージュを書いた上野英信さんを訪ねます。そのときのこと、そのあと上野さんや筑豊から学んだことは、11月26日の朝日新聞に本橋さん自身が書いていた。「オマエはどこに軸足を置いて撮るのか。どの目の高さから撮るのか」。同情、センチメンタリズム、ヒューマニズムで問題に関わるのではなく、軸足、視点がその後の自分の仕事の土台になった、と話していました。
もうひとつ、本橋さんのテーマは「本当の豊かさとは?」と問い続けることだそうです。1986年のチェルノブイリ原発事故。本橋さんは1991年に初めて現地を訪れた。「僕たちが豊かになろうとしたツケを彼らにまわしてる」。汚染された地域に暮らす人たちの悲惨さを伝えるのも大事だけど、でも彼らの営み、彼らの生き方を日本やヨーロッパ、アメリカの人たちに伝えたい、学ばなければならない。それには彼らと長くつきあわなければならない。そうして始まった「付き合い」はその後、渡航30回を越えた回数になっているそうです。
僕は本橋さんの映画処女作『ナージャの村』しか観てないけど、そこには村の生活が淡々と記録されていました。写真家の本橋さんは、映画という表現を「瞬間を撮る写真と、時間がある映画では表現が違う。でもどちらも観てもらう人がどのくらい想像をふくらませられるか、そういう作り方ができるとうれしい。一カット、一シーンからいろんな想像をしてもらえる」と話していました。
『アレクセイと泉』もシナリオがないドキュメンタリー映画。でも、ベルリンの映画祭では「村人と一緒に作った劇映画」と評されたそうです。本橋さんによると、旧ソ連時代の政策でこんな田舎でも村人たちは映画に多く触れていて、カメラがまわると何かしなくては何か話さなくてはならないという気になって行動するんだそうです。ある登場人物の朗読シーンのエピソードを話してくれました。
2時間の充実した授業のあと、関野さんと少しだけ話ができました。先月、関野さんの授業で観た『食の未来』とこの前のサンフランシスコの話。これはMacが直ったらちゃんとまとめたい。いま、暫定的にWindowsを使ってるけど、これが他人の服に袖を通すような、他人の眼鏡で見ているような違和感でどうにもちゃんと文を書こうという気になれないのです。