『音アシャギ』インタビュー(第一回)

tuktukcafe062006-04-06

アルバム『音アシャギ』を4月28日にリリースする知花竜海(DUTY FREE SHOPP.)と安村磨作紀(カクマクシャカ)に、2月26日、那覇でインタビューしました。
僕のDUTY FREE SHOPP.との出会いは2002年。那覇タワーレコードで偶然手にした『カーミヌクー』*1というアルバムがきっかけでした。
でも、その時点でDUTY FREE SHOPP.というバンドは既に活動休止になっていたらしく(バンド名すらそのとき初めて知った僕にはそんなこと知るよしもなく)、『カーミヌクー』に大感動した僕が「ライヴ観てー」とか、「他のCDも聴きたい!」と思っても、それは遅れてきたビートルズ・ファンの叶わぬ歯ぎしりみたいなものであって……。
しかし、歯ぎしりは歯ぎしりで続けるもので、その後、僕はDUTY FREE SHOPP.の中心人物、知花竜海と知り合うことになります。
DUTY FREE SHOPP.×カクマクシャカは2004年9月、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事件*2に抗議して「民のドミノ」*3を緊急発表。2005年6月にシングル「South 天加那志」*4をリリース。そして、2006年4月、ついにアルバムの発売になります。
DUTY FREE SHOPP.×カクマクシャカ『音アシャギ』プレサイト
http://kakumakushaka.com/discography/otoasyagi.html
―――まず、ふたりの出会いを教えてください。
知花 1999年3月にDUTY FREE SHOPP.結成後、初のライヴをしたんですよ。2回目の5月のライヴで対バンしたのが、彼が当時やっていた「武士道魂」というバンドで、『カーミヌクー』のレコ発ライヴ(2001年)にはカクマクシャカで出てもらったんです。
安村 そのときは機械を持ち込んでひとりで。テクノでもハウスでもないんですけど、 機械音楽みたいなのをどうにかやろうと思ってたんです。
知花 実験系だったよ。キーボードも弾いてた。
安村 それに、ワープロも持ち込んだんですけど。
―――ワープロ
安村 おもしろいかなと思ったんで。でも誰も突っ込んでくれなくて、「パソコン使ってたね」なんて言われて(笑)。
知花 ひとりでパフォーマンスしてるのを見て、彼が打ち込みとかできるのを知っておもしろいなと思ったんです。その後、友だちの自主制作の映画にサントラを頼まれて、そのときに初めてふたりで曲を作って発表したんです。その曲が、今回の収録曲「CALL」です。
安村 当時、僕はまだラップはしてなかったんですけど、竜海さんと「ラップっていいっすよね」「あれ、おもしろいよ」なんて教えてもらったり、「自分、バンドをやりたいんですけどメンバーは見つかりますかね?」って訊いたら、「絶対見つからない」って言われたり(笑)。
2002年、知花竜海は北京の大学に一年間の留学をする。そこでバンド「品味期限」を結成し、2003年、同名のアルバムをリリースする。
僕が知花竜海に初めて会ったのは彼がこの中国留学から帰国してから。宮沢和史とのラジオ番組収録の場だった。
知花 中国から帰ってきてみたら安村はカクマクシャカ名義でアルバムを作りたいってことで準備をしてて、そこに僕が参加したのが一曲目の「音アシャギ」という曲。それが2003年の暮れ。どうせ僕がやるんだったらマイクリレーということで、耳切坊主abirojiのボーカルの二人、「ドラゴンヘッド」(DUTY FREE SHOPP.『カーミヌクー 』収録)に参加しているNA-GAというラッパーとで安村のうちで録ったんです。
安村 僕は(沖縄のバンドシーンの中で)耳切坊主の赤嶺(K2Y)さんと 零戦(現abiroji)のヤス(Yagi)さんとDUTYの竜海さんがとても好きだったんでこの曲ができたときはとても嬉しかったです。
知花 その「音アシャギ」が感触よかったんで、これはアルバム一枚作れるんじゃないのって盛り上がって、僕の方から共同名義で一枚やらないかと持ちかけて。
安村 半年ぐらいでパッと出そうぜっていう話だったんだけど、手を出したらどんどんどんどん、どこまでも行こうとするし。
知花 悩むし(笑)。
安村 あげく、まだ出てない(笑)。
知花 2004年の夏頃には一通りできあがってたんです。20トラックぐらい。そのデモを県内のレコード会社に持ち込んでいったんですけど、10月ぐらいにSPICE RECORDS*5から出すということになって。SPICE RECORDSの人は『カーミヌクー』を評価してくれていて、デモを聴く前から「うちから出そう」って言ってくれたんです。
安村 だからSPICE RECORDSから出せるのはとても嬉しく思ってます。
知花 相当自由にやらせてもらったよね。
―――『カーミヌクー』があったから、レコード会社も期待してということですよね。僕もそうなんです! あのアルバムに衝撃を受けて知花竜海の次の作品にものすごく大きな期待をしていた。安村くんは当時、『カーミヌクー』をどんな風に受け止めましたか?

(以下、近日掲載予定の第二回に続く)

*1:2001年にリリースされたDUTY FREE SHOPP.のファーストアルバム。タイトルは沖縄の言葉で「墓」の意味。当時、知花竜海は21歳。同世代の沖縄のアーティストたちを結集させ作り上げたコラボレーション・アルバム。沖縄音階とヒップホップやスカ、レゲエなどが縦横無尽にミクスチャー。ウチナーグチで歌われたまったく新しい沖縄。

*2:2004年8月13日、宜野湾市沖縄国際大学に米軍の輸送ヘリが墜落。爆発して炎上した。

*3:CD-Rを500枚無料配布。「民のドミノ」は現在もhttp://akagawara.com/sp/tamino_domino.htmlでダウンロードできる。

*4:タイトルにある「天加那志」は沖縄の言葉で「国王」のこと。それにしてもカクマクシャカの高速ラップは凄い。

*5:ORANGE RANGEHIGH and MIGHTY COLORなどを擁する沖縄のレコード会社。なお、知花竜海は赤瓦レーベルを主宰し、カクマクシャカ覚醒RECORDSを主宰する。