『日々なる直感』

アルバムのジャケットを作ったことは何度かあるけれど(僕はデザイナーではないのでジャケット制作では書籍でいう編集者的な仕事を担当する)、これまででいちばん大変でいちばん楽しかったのはヒートウェイヴのアルバム『日々なる直感』です。このアルバムのリリースが、ちょうど7年前のいまごろ、1999年3月31日だったので当時のことをいろいろ書いてみます。


日々なる直感

撮影地はアイルランドです。
でも僕は行ってない。アイルランドには山口洋とフォトグラファーのトシ風間さんだけしか行ってない。しかもニューヨーク在住のトシ風間さんは、日本経由なんぞもちろんせずに北極海を直接越える。成田から飛ぶ山口洋とダブリン空港で待ち合わせだ。被写体と撮影者だけの最小編成。現地コーディネーターも通訳ももちろんなし。アイルランド滞在期間はたったの3日間。
撮影地がアイルランドに決定するまでが面白かった(いまだからそう思えるのだけど)。期日が迫る中、僕がデザイナーと繰り出すアイデアは次々と却下され、さまようわけで……。
「今回はNYに行って撮影することになりそうだ。」
1998年12月15日の山口洋の日記より)
「年末のジャケットの撮影はLA-メキシコ横断説やアリゾナ砂漠説、果てにはアフリカ説まで乱れ飛んでいる。かつて何度も共に旅したNYのカメラマンTと行くのだが、どうせ無茶な旅になることは間違いない。ドーナルにその話をしたら、おまえにはモハビ砂漠が似合ってると云っていたが(確かにそう思う面もある)、今回のアルバムには明確な1点の場所がない。故郷に始まり、日本的な風景、東京の雑踏、住宅地、砂漠、荒野、アイルランド、エトセトラ。様々な景色が混在している。俺の混迷を極めた表情を撮るためとは云え、何処に行けばいいのか、正直俺にはアイデアがない。」
1998年12月17日の山口洋の日記より)
「年末のジャケット撮影の場所はアイルランドはドニゴールに決定する。タイトなスケジュールだが、やるしかない。 」
1998年12月19日の山口洋の日記より)
最終的にアイルランドに決定。ここからだ。撮影に用意できる日数は年末の3日間だけ。成田から飛ぶ山口洋と、ニューヨークから飛ぶトシ風間さんのチケットを手配し、衣装を探し回る。出発前夜、山口洋は福岡でライヴ。出発当日の朝、福岡から国内便で成田空港に到着する山口洋を空港で待ち伏せし、衣装を手渡す。当時のメモに僕はこんなふうに書いている。
〈早朝7時30分福岡発の飛行機に乗れたかどうか。それだけが心配だった。出発前夜は、よりによって地元、福岡でのライヴ。1998年最後の演奏。共演は最悪なことにソウルフラワー。さらに24時を回れば山口洋の誕生日だ。飲むに決まってる。飲むなとは言わない。だからマネージャーには、福岡空港までは責任を持って連れて行ってくれ、と頼んでおいた。成田にさえ着けばカートに乗せてでも、アイルランド行きの便に押し込んでみせる。午前9時をちょっと過ぎて国内線ラウンジに運ばれてきた山口洋を、ラウンド休憩のボクサーに対処するように、手近のベンチに座らせ、撮影用衣装を渡し、説明を授ける。「マフラーはこう巻け。このセーターは特殊な締め方をしている。上着をはおる時は……」。打たれ続けたボクサーのように、定まらぬ視点のままうなづき続ける山口洋に、図解入りのメモをポケットに押し込む……。〉
アイルランドでの撮影の様子は山口洋の日記で知るしかない(→1998年12月26日の日記)。僕らにとってみればそのあと、写真が届いてからの、奮闘の日々が非常に楽しかった。歌詞やクレジットについて山口洋と膨大な数のメールをやりとりし、何度も打ち合わせをして、シングルとアルバムのジャケットを入稿し、でももっとこの濃密な時間を続けたいという気持ちになって、ついでにアイルランドについての山口洋の文章と写真をまとめた本「The homes of Donegal」(残念ながら売り切れ)を作り、1999年3月ぐらいにようやくこのプロジェクトは終了したのかな。
ミスチル桜井さんに推薦文を書いてもらった『日々なる直感』フライヤ