サンタクルス

朝食後、チョービ観光(旅行代理店)。サンタクルスメキシコシティーの帰路の日程変更をお願いする。次にトラベラーズチェックの両替。最初の銀行(Banco de Santa Cruz)ではマスターカードはできないと断られ、24広場のCasa de Cambioで手数料2.5パーセントで両替……。インターネット4B。ホテルに戻り、3泊分の料金を払う。454B。
ホテルのスタッフに推薦してもらった近所のブッフェで昼食。フェジュアーダ・コン・アロス、肉などブラジル料理のブッフェだった。美味しかった。全部で16Bと安い!
また部屋に戻り休憩。遂にお腹の調子がおかしくなった。この日、もういちど「オキナワ」行きを考えていたけど、あきらめ、ジョン・グリシャムの小説「テスタメント」を読んで過ごす。
オキナワ居住地に行く代わりに、夕方、スーパーマーケットのオキナワへ。みんな、異国でがんばれー。チョービで変更してもらった航空券を受け取る。親切。
ウルグアイ・アベニュー近くのMr. Caféという店で日記を書き、日本人協会を目指す。近くに「さが」というスーパーを見つけ、水を買う。やっぱり九州出身の方の店だろうか。
日本人協会、宮里さんという女性にいろいろお話を伺う。沖縄出身の方。「島唄」は何度もラジオで流れたそう。紅白歌合戦を見て、夏川りみさんら同郷の歌手の活躍に「支えられた」と話していました。
2002年にアルフレッド・カセーロと共に来日した日系ミュージシャン、フリオ新垣はこのサンタクルス出身らしい。フリオたちのバンド、ニセタリュウがライヴをしたことのある会場を見せてもらった。子どもたちが踊りの練習をしていました。去年、ニセタリュウが来てから、サンタクルスでも三線を練習する人が増えたそうです。
さっきのスーパー「さが」のオーナーのご子息のバンドが「島唄」を歌ったそうで、紹介してくれるということ。20時に「SUKIYAKI」というお店で打ち合わせ。バンドのボーカルとドラマーに会えるそう。うれしい! 取材したい!
ホテルまで歩き、インターネット3B。日本のMIYAに今日のことをメールで伝える。
でも、残念ながら会えませんでした。SUKIYAKIレストランに着いて中に入ると(ホテルからはラジオタクシー9B)、伝言を預かっていた女性従業員から「宮里さんは家族の具合が悪くて来られない。バンドの人たちとは連絡が取れなかった」と聞かされる。仕方ない。突然、お願いしに行ったのだから。ひとりで、店に置いてあった移民の雑誌を読みながら食事。
牛肉の野菜巻き定食とブラジルのお茶。
食べ終わると宮里さんの同僚という女の子が話しかけてくれた。サンファン出身、日本には福岡に一年間いたことがあるという。オシャレで、ボリビアに来る日本人バックパッカーについては「なんであんなに汚い格好をしているんだろう」と言っていました。これは僕自身にもあてはまる! 「インターネットのおかげで日本との距離はあまり感じない」とのこと(地球の反対側なのに!)。「一世の人たちは日本語しかできずにNHKを流しっぱなし」「サンファンは蚊が多くて気が狂いそう」「みんな音楽をネットで聴いている」。九州出身者が多いサンファンとオキナワでは気質の違いもあって、「オキナワの人たちはパワフルで目標に向かってみんなでがんばっている」。「サンファンへ行く途中のブエナビスタという場所の坂が好き」……などなど。若い日系女性と普通に話ができてよかった。ありがとう!
店を出て、ホテルまでは歩いて帰った。キリスト像のあたりまでは緊張した。途中のカフェでエスプレッソとケーキ(ショコラ?)。ケーキは甘すぎて半分でギブアップ。今日は金曜日なので街に人が多い。ボリビアのカルナバルはブラジルと同じく来週末からスタートする。前夜祭は一ヶ月前から毎週金曜にあるそうで、ここサンタクルスとオルーロのカルナバルは独特なそうです。
と、歩いていたらパレードに遭遇した。ブエノスアイレス通りのあたり。先頭は綺麗に装飾したジープやトラックたち。荷台にQUEENが乗っている。続くのはさまざまな(共通するのはきらびやかなところ)衣装の人たちとブラスバンド。ひとつのグループは50人ぐらいで構成されていて、チームごとにテーマがあるらしく、「サファリ」であったり(檻もあって、その中には着ぐるみのゴリラもいた)、南米の先住民っぽい仮装だったり、いろいろ。24広場は観客でいっぱいだった。花火、音楽、パレード!
23時過ぎにホテルに戻る。毛布をもう一枚持ってきてくれた。親切。軽くパッキングしてすぐ寝るが、夜中に何度も目覚める。
さあ、明日からペルー。