サンファン

日系移民の移住地「サンファン」のレストラン、「ODA UTOPIA」でちゃんぽんとご飯を食べました。今は食後の休憩中、雨宿りしながら日記を書いています。通り雨だといいけど。傘、こういうときに持ってないなんて……。
サンタクルス市内からサンファンまでは、まずサンタフェ行きのコレクティーボ(乗り合いタクシー/18B)に乗る。10時30分発車。僕は後部の運転席の後ろ。隣はインディヘナの女性ふたり、前部座席にはアベック。でもそのアベックの男の方はずっと携帯電話をかけていた。約2時間でサンタフェ到着。ここで乗り換えの車を待っていたけど来ないので、さっきのコレクティーボをタクシー代わりにひとりで利用して(15B)、サンファンまで。
「オキナワ」と同じような感じ。日系移住地だからといって、例えばサンフランシスコのJAPAN TOWNみたいに何か日本人向けの大々的な施設があるかということではない。
日系人がやってるらしい小さなお店に入って、「こんにちは」と声をかけると、たぶん70歳過ぎだろう、おばあさんが出てきた。高知出身だという。日本食が食べられる店を訊いたところ(3軒あるそうだ)、「ODA UTOPIA」を紹介してくれた。
大きなお店。店内には村山首相、細川首相の書が飾ってあった。お勧めという長崎ちゃんぽん(小)とご飯を注文。サンファンは九州、それも長崎出身の方が多いそうだ。ちゃんぽんは東京で食べたものより美味しかった。おじさんには、スペイン語で胡椒をかけて食べるように言われた。50人ぐらいは入れる広さがある。きっとお祝いごととかいろんな式もやるんだろうな。
UTOPIAを出て再びさっきのおばあさんの店に。こちらでも雨宿りをしながらお話を聞かせてもらう。40年前に移民したとのこと。2ヶ月にわたる船の旅は船酔いが苦しくて苦しくて、もう二度と日本に帰るものかと思ったそうだ。南米の最初の寄港地、ブラジルからの鉄道の旅は、おもしろかった。40年前、このサンファンは原生林だった、と。
原生林を焼き払って開墾していた時代、原野に一本だけ残っていた大木に、炎が大蛇のように螺旋状に絡みついて、天に昇っていった話……。おばあさんはこれを「たたりを見た」と言って話してくれた。
そこまで聞いたところで、もうひとり、おばあさんがお店に入ってきた。幼くして死んでしまった孫の話を聞く。便が白く、肝臓が悪かったらしい。日本の医者に診せれば助かったかもしれないと。いま、ボリビアはいちばんよくない季節(=雨期)で、虫が出て、暑いという。
午後の開館時間(14時30分)になったので、日本ボリビア協会の建物に行く。受付の若い女の子が資料館の鍵を渡してくれた。そこで自由に見てきてくれとのこと。資料館には旅行者ノートが置いてあったけど、サンファンまで来る人はあまりいないようだった。再び雨が降り出す。確かに虫が多い、ちょっとの間に蚊にさされる。資料館はなぜか電気がつかず、暑く、蚊もいたので、短縮モードで急いで閲覧した。ハワイのマウイ島で見た日系移民資料館と似たような感じ。日本からとても遠く離れたボリビアまで来て開墾した人たちのことに思いを馳せる。
資料館から本館まで雨の降る庭を駆け足で戻って、「雨宿りをさせてください」と女の子に頼む。応接室のようなスペースで、「コロニア・オキナワ40周年史」という本を見つけたのでソファに座って読んでいると、70歳ぐらいの男性が話しかけてきてくれた。この日本ボリビア協会の会長、本田さんだった。本田さんは僕が移民に興味を持ってることを話すと(さっきのおばあさんにも、やっぱり何故ボリビアまで来たのか訊かれて、答えた)、サンファンの貴重な資料を僕にくれた。それからお話を聞く。オキナワの入植から一年後に始まったここサンファンの歴史。本田さんは1962年に長崎から移民して、それ以来一度も日本に帰ってない。ここサンファンでの問題は、教育。教師がいないとのこと。日本から教師を呼んだ場合、給料は月に300ドル。日本から来た人には「はした金」と思われるかもしれないけど、ボリビアの教師の給料は約100ドル。ここには家族で住める宿泊地もある。だけどなかなか定着してもらえない、とのこと。ボリビアでも放送されてる「紅白歌合戦」の話、THE BOOMの「島唄」も何度か聴いたことがあるそうだ。
16時からの教育会議が終わったらサンファン移住地を車で案内したいから残っていかないかと誘っていただいたのに、人見知りの僕は固辞してしまう。サンタクルスに戻れない時間になってしまうだろう。その親切はすごくありがたかったけど。お礼に、THE BOOMのCDをお渡しする。受付の女の子にも一枚。
別れの時間が来て、本田さんが会館の前までコレクティーボを呼んでくれた。握手と記念撮影をして、サンファンを後にしました。
帰りはサンタフェではなくヤシパシという場所で乗り換え(ここまで5B)、そこからサンタフェ行き(18B)、サンタクルス行きと乗り換える。途中、なんどか雨。Tシャツでは寒いぐらいだった。
宿に着いて、上着を着て、すぐ近くのルイージ・ピザスタンドでピザ(23B)。隣のカフェでインターネットをチェック(2.5B)。寒いぐらいだ。部屋に毛布を頼んだ。雨が降っている。石畳の中庭を雨が打つ。日系移民の歴史のことを考えながら22時には寝てしまった。