「上野原トレイル」

「8キロです」という言葉をかけられ、思わず「え?」と聞き返してしまった。スタートしてからちょうど3時間が過ぎていた。前方に「競技役員」という札を首からつる下げ、おそろいの藤色シャツを着た若者が3人いた。「塩いかがですか?」と中のひとりはランナーに勧めている。塩はとりあえずいらないです。それより僕が気になってたのは、さっきの彼の一言だ。
「残り8キロってこと?」
「いえ、いま8キロということです。残り、あと13キロになります」
「まじーっ?」
「まじ?」だなんて言葉が口から出てしまった。僕は人見知りするほうだし、小心者だから、初対面の人に、しかも自分が出場してるレースのスタッフにこんな口のききかたはまずしない。でも、僕はそう二回も聞き返したのだ。
「まじで、ここが8キロ?」
「本当です。あと13キロぐらいです」二回目は少しすまなそうに聞こえた。
3時間で8キロしか進んでいない! 
僕は「上野原トレイル」というレースに参加していた。ロングコース (37.1キロ)というのもあったけど、僕はショートコース(21.5キロ)を選んだ。ロードで考えれば「21.5キロ」という距離はハーフマラソンとほぼ一緒。そしてロードだったら3時間=僕なら30キロ過ぎを走ってるはずだ。それがまだ8キロ!
走るときの自分のペースというのはだいたい把握できる。このペースだったら1キロ6分ぐらいだな、とか、この感じだともう2キロは走ったな、だとか。でも山の中のトレイルではそれがわからない。河原をスタートして10分ほど舗装路を集団で走り(結局、全コース中、僕がまともに走ったのはこの部分だけだった!)、トレイルに入ったかと思うと、すぐに急斜面による渋滞だった。ロープを使ってひとりずつよじ登るような場所だから、これはもうどうしようもない。15分ぐらいそのまま待機(右上の写真)。で、この急斜面というのが登りも下りもこのあと連発するのだ。
序盤はそれほど人がばらけているわけではないので、列になって登り、下る。幅が50センチ以下の狭い土の道で、抜く気もないし、着いていくのがやっと。前の人の足取りを追うことで、自分のペースをキープする。登りならまだいい。足場に一歩ずつ足を置き、身体を引き上げていけばいいのだから。でも、下りになると、僕は土に滑ってしまいそれができない。ちょっと道幅が広がると駆け下っていく人もいるけど(それが普通です)、僕には下りが恐怖だ。それと、後ろから追われるのがひどいストレスで、背後に人が付くとすぐに道をゆずる(二人分の道幅があるところで止まり、先に行ってもらう)。そんなことを繰り返しているうちに、距離感覚はなくなってしまった。
それになんといってもこの暑さだ! 汗が大量に噴き出てくる。水は大会規則で1リットル以上の水を自分で保持することが決まりになっていて、僕はそのためにハイドレーションシステムの水袋を先週購入した。背中のリュックの中に入れて、そこからホースがのびていて、酸素ボンベ吸入みたいな感じで水を飲める。これも最初は「そんな大げさな!」と思ったけど、この暑さ、斜面を行きながら水を補給するのに大変便利だった。ペットボトルをいちいち取り出しキャップを外し、立ち止まって飲むのより楽。しかし暑いー。9月はまだ走るシーズンじゃないのだ(同じ山梨県甲府市では37.2度だったそうだ)。首にかけたどこかの温泉の薄っぺらなタオルで何度も顔の汗をぬぐう。
登り下りの連続で、たまに平坦な場所があっても(ほとんどない)、走れない。とにかく歩き続ける。一時間たったところで、立ち止まってウィダーインゼリーを飲む。去年の僕のトレイル初体験、「高尾山天狗トレイル」では、ロードのマラソンのようにエイドステーションがコース上に何カ所もあるつもりで手ぶらで参加してしまって、後半エネルギー切れで本当につらい思いをした。だから今回は水も食料も背負って走ってる。でも、あまりの暑さとコースの過酷さで足りるか不安。そしてそんなトレイルが3時間も続いたときに、前述の「8キロ」コールだったのだ。あと13キロ。これまでが3時間だったということは、13キロだったらあと4時間ぐらい歩き続けるのかあと、かなり悲観的な気持ちになる。もつのか?
  第一関門=給水所にたどり着いたときには本当に安堵の気持ちだった。バナナをもらい、ひしゃくで頭に水をかけてもらい、真鍮のカップで冷たい丹沢の水を二杯いただく。そのまま道ばたにすわりこんで休憩。持参したあんパンも食べる。この場所で「リタイア」を申請してるランナーもいた。第一回大会ということだし、暑さのせいもあって、給水所でスタッフになっている地元のおじさん、おばさんたちはランナーにすごく気を遣ってくれる。「水、補給していったら?」(僕も補給させてもらった。コース上に利用できる湧き水はなかったようだ)、「暑いから無理しないでね」などなど。
この給水所からコースに戻るには、また新たな決意が必要になる。だってすごい急勾配なんだもん。「まじ?」ってまた言いたくなる。登りはじめてすぐの場所で、リタイアの相談をしているペアがいた。わかる。リタイアするならスタッフがいるここだよなー。ロードだったらどんな地点でも、道ばたに座り込んでたら通りがかった車に助けてもらえるだろう。でもトレイルだともし途中でアクシデントで動けなくなったり(怪我じゃなくてもエネルギー切れの可能性もある)、もし道に迷ったら……。スタッフが来てくれたとしても自力で降りなくちゃいけないだろうし、道迷いしたら、わーー、エマージェンシーシートも緊急用の食料も持ってないよ。やっぱりゴールしなくちゃ。トレイルの経験を積んでる人からしたら、「そんなレベルで大会に参加するなよ」と思われるでしょうが、僕なんてそういう考えも浮かんでくるレベルなのです。それでも自分を奮い立たせるのは、「7時間までなら歩いたことあるぜ」という数少ない経験がもたらしてくれる拠り所。むりやりそう思うんだけど。あと、心の中で唱えてるマントラ! 僕のマントラは「ビール! ビール!」というやつ。ゴールしたらきんきんに冷えてるビールを飲むのだ。スタート地点近くの信号のところで居酒屋が路上に生ビールサーバーを出してた光景をありありと思い描ける。問題は僕がゴールするまで販売してるだろうかということ。冷えているだろうか。ああ、心配だ。だから早くゴールしなくちゃ。「ビール、ビール!」と何度も唱える。それは願いであり、祈りであり、希望であり、メッセージです!
数が多いとは言えないけど、コース上のところどころに待機している競技役員は、たぶん地元の「山の民」だろうな。「この登りがいちばんきついとこだから、これ越えればもうないから」なんて励ましてくれる。
「まじ?」
もう「まじ」の連発です。短い言葉しか出てこない。で、「いや、まだ他にも少しあるけどね」とか言われてしまう。
「あと2キロでロードだからね」
急な斜面をロープをつかんで登り、つづら折りの道を下り、倒木をまたぎ、沢の泥に足をつっこみ、滑り落ち(指から二カ所出血した。手袋も用意してきたけど暑すぎてつけてなかった)、ようやく道路に出た。ここではガードマンの格好をしたスタッフ(アルバイト?)が待っていた。
「ここから先ほどの給水所までロードですよ」
ああ、よかった。と最初は思った。ところが、歩けど、歩けど、給水所は見えない。下り、登りの交互。木々がない分、日光をもろに浴びる。あぶが飛んでる。景色がつまらない。途中、車は通行禁止のトンネルがあった。涼しい。トンネルの中をとぼとぼ歩くランナーたち。シルエットがまさにゾンビ!
ロングコースのランナーたちは僕らを走り抜いていく。凄すぎる。
たぶん一時間以上がこのロードだった。第二関門は先ほどの給水所と同じ地点。つまりぐるっと山の中を進み、車道を歩きここまでまわってきたのだ。もうこの時点でスタートしてから4時間半。ようやく仮設トイレに入る。また水を頭にかけてもらう。梅干しが効く! 水とおばさんたちとの会話でよみがえる。レモンももらった。薄切りにして砂糖漬けにしてあるレモンを、囓るだけでなく食べてしまう。レモンの皮、いつも食べないけど(アメリカ産でありませんように)、少しでもカロリーが必要。というか、美味い! 絶品!
女性ランナーが「あと、6.7キロだから!」とおばさんに励まされて、逆に絶句してしまってた。そりゃそうだ。6.7キロって途方もない距離に感じる。でももう行くしかない。絶対にゴールする! たぶん……。できれば……。
ここからは往きに来た道だ。ロングの選手が抜いていく。それが怖い。順位だとか、ショートコースなのにロングコースのランナーに負けるからなんてことは関係なく(僕は遅いのだ!)、自由に抜いていってほしいけどその道幅がないため、必ず避難しなくてはならない。背後からの足音がプレッシャーなのです。彼らは駆け下りていくときの着地に躊躇がない。僕も意を決してトライしてみたけど、勢いがついて止まらなくなり、結局、木にぶつかって止めた。へっぴり腰歩行でいくぜ。この歩行法の欠点は足の裏やふくらはぎに力がかかる。意外と足の指の力も使う。つまり、疲れる。
「残り5キロ」の標識。このレースで初めての距離表示。行動時間が6時間を超えると筋力がなくなってきます。足のグリップができずに、何度も滑る。午後3時を過ぎると太陽の力が弱くなってきている。日が暮れてからだったらライトなしでこの足場を歩くことはできない。持ってないし。
最後の「1キロ」(参加した誰もが思っただろうけどあの距離は断じて「1キロ」ではない!)の急勾配は、全コース中いちばんきつかった。「もうやめてくれ」って思った。誰に対して懇願してるかわかんないけど。「あんまりだよお」って。この1キロはもう二度と経験したくない。
やっと山を下り、そこからまた無神経に長い河原の舗装路を歩き、ようやくゴール。スタッフや、ランナーたちみんなに感謝を。タイムはなんと7時間半近い。ロードだったらフルマラソン2回分の時間です。
会場隅のブルーシートで作られたテントの中で水道シャワーを浴び(温泉までの送迎バスもあり、参加者は入浴無料だったけど、僕はすぐにビールが飲みたかったので)、着替えて、待望のビールを飲む。きっちり冷えていて、しっかり美味しかった。
出店の「300円」の缶ビールが「250円」とマジックで書き直されるぐらいのゴール時間だったけど、ちゃんと飲めてよかった! 焼きそばも「300円」が「200円」になってた。ひとつでは空腹が収まらなくてふたつ食べました! ビールを飲み、焼きそばを食べて、ようやくゴールしたうれしさを感じる。ああ、うれしい。うれしいなあ。
ひとりだったらこんな経験はできないので、この大会を作ってくれた人たち、支えてくれた人たち(ビールを冷やしてくれていたお店の人たちも)、一緒に走った人たちに本当に感謝です。つらかったけどね!
装備
・OSPREY TYLON5.5のリュック。OSPREYを使ってるランナーは誰もいなかった。ホースの導入口がないから? 腰のベルトに何か入れられるといい。トレランでは背面が蒸れないように通気性のあるリュック必要。
・platypusのHands- Free Hydration。2リットル入りの水袋。あって良かった。給水所で一回満タンに補給してもらったけど、ゴール地点では300mlぐらいしか残ってなかった。ハイドレーションを使ってるランナーがほとんどだった。
ユニクロの速乾1000円Tシャツ。
・ランニングパンツ。3000円ぐらいだった。ロードでも去年から使用中。
オッシュマンズの3足1000円の靴下。これは丈夫。
・靴はセールで買ったmontrail MEN'S ROCKRIDGE。トレランにトレラン用シューズは必須! ロード用のシューズだったらもっとつるつる滑ってた。
・タオル。ぺらぺらの温泉タオル。首にまいてた。
iPhone。リュックから取り出して写真撮る余裕はほとんどなかった。
食料(補給順に)
ウィダーインゼリー(エネルギー)。180kcal。スタート後1時間目で。
・あんパン。スタート後2時間半の給水所で。ここでバナナ1本ももらう。VAAMの粉末ももらった水に溶かして飲む。
ウィダーインゼリー(エネルギー)。スタート後4時間過ぎ。第二休憩所で。ここでレモン輪切りももらう。
・チョコクッキー1個。前夜コンビニで30円で買ったもの。残り3キロ地点で食べる。105kcal。
以上、全部使い切りました。でもこんな長時間になるのならもう少し持ってきてもよかった。
これ以外の着替え等は、会場の荷物置き場に預けて、レースには上記のものだけで挑みました。次は11月に陣馬山トレイルに出ます。