最近読んだ本からメモ

最近読んだ本をメモしたけど、なんか重くて堅いので、去年、「文化人類学開放講座」で観た映像を、関係なく追加。9.11以降の、寛容性のなくなったアメリカ社会に「窓」を開けようという試み、と解説されてました。フラッシュモブのひとつ。フードコートで突然、何かが始まります。楽しい映像です。
外来森田療法

外来森田療法

強迫神経症などに対する森田療法と一般の認知行動療法との違いは、〈森田療法は、自己と外の対象との外的関係を中心に、行動や実際の関わりを用いて治療を進めていく特性があるのに対し、力動的精神療法が自己の内的な世界を取り扱い、対話を中心に治療を進めていく〉このだという。
薬物療法以外の、その「森田療法」が何か、知りたくてこの本をたまたま取ったわけだけど、〈森田療法の本質は、非言語的な治療にあります〉と終章に書かれているように、実はどうして効くのかよくわからなかった。まず、この治療方法が、患者を選ぶということが特質。「内向的」「生の欲望が強い」「理知的」「意識的」「感受性が鋭い」性格が必要だという。これだけ揃っていたら、認知療法も効果があるだろう。
森田療法は閉塞感に「窓」を開ける作業から始まる。しかし、これは〈神経症の病理である知の病理に対して、治療者も患者さんも同じレベルの知的方法で対抗することになっています。このやり方では、部分的に神経症の世界に穴を穿ち、その部屋に窓を開けることはできますが、部屋そのものから出ることはできません〉。この知的理解に基づく第一種変化に続く、第二種変化=「悟り」がどのようにして行なわれるかが、うーん、謎。でも、冒頭の〈手の届かない未来でなく手を出せる今を変えることが大切〉、〈迷うときには、積極的なほうをとるように〉という言葉は森田療法の大事な指針なんだろうな。
同志諸君!―フィデル・カストロ反グローバリズム演説集

同志諸君!―フィデル・カストロ反グローバリズム演説集

本を手にする人を限定してしまうようなタイトルだけど、とても読みやすい。2002年から2004年にかけて、カストロによる、新自由主義反グローバリズムに関する演説を4本収録。
読みやすいのは、訳者あとがきにあるように、〈彼の演説はアジテーションではない。世界の状況を、キューバが直面しているものを「できるだけ詳しく知ってもらいたい」と労働者、農民、学生たちに語りかけ〉ているから。
また、注釈もあるので、キューバを主としてラテンアメリカの現代史を知るにもいい。
以下、カストロの演説より(2002年)。
〈ここで真実に敬意を払って、私は言わなければならないことがあります。シアトルとニューヨークとケベックで抗議運動を組織したのは、インターネットに繋がっている合衆国とカナダの市民たちでした。知識人たち、そして中産階級に一般市民が多く、インターネットを使って連絡を取り合いながら、抵抗運動を組織しました。このために、G7をはじめとする国際会議はもう開催する場所がなくなってしまった。G7の首脳たちは、地球の軌道を回っている新しい人工衛星にいくつかキャビンを用意して、そこに集まったらどうだ。開催地の選定がとにかく難しくなったと彼ら自身が認めています。〉
新自由主義に基づくグローバリゼーションは社会に多大な影響をもたらしました。経済に限られたことではありません。文化や道徳にはじまり、社会全般を覆い尽くし、私たちに自分で考えることを禁じています。考えるのが面倒だという人もいるでしょう。(中略)立ち止まって考えてみようという人はほとんどいません。新聞や雑誌に掲載される広告を読み、テレビや映画館に流れる広告を観ているだけだ、これが事実です。私たちは将来を決定する時代に到達したのではないかと考えを巡らせることがあります。この会議(ハバナでの国際エコノミスト会議)でさまざまな議論が数多く提示されたというのに、醜悪なまでに不公平で不平等な貿易条件について、だれからも発言がなかったことに気がつきました。もう誰も何も言わなくなってしまった。一九四九年には、私たちの国が生産するコーヒー豆や砂糖などの基本作物を何トン作ればトラックやトラクターを買うことができたか。もう思い出すことができません。今日では、基本作物が持つ購買力はどんどん低下しています。私たちの通貨が切り下げられただけでなく、産物の価値も下げられてしまいました。誰もが知っていることです。これまで何度も指摘され、論説にも書かれているように、これは貿易という形態をとる略奪行為に他なりません。新しい略奪の方法が次々と開発されています。そうでなければ、これほどの飢えや苦しみや貧困が、極度の貧困が、ここまで広がっているはずがない。〉
ルポ 雇用劣化不況 (岩波新書)

ルポ 雇用劣化不況 (岩波新書)

リーマンショック以降の雇用状況のルポ。派遣切り、京浜ホテル名ばかり店長ホワイトカラーエグゼンプション、ユニオン、反貧困など。
〈人間の生活には「必要だけれど、お金になりにくい部分」がある。だから、行政は住民から税を集めてこうした分野を支える。福祉とはそんな分野である。こうした公的サービスがしっかり保証されていない社会では収入に余裕のある層でも安心して消費ができず、ただ貯め込むことになる。二〇〇〇年以降の「財政再建」政策は、こうした福祉部門の切り下げを進め、将来が不安だから使わずに貯め込む富裕層と福祉の安全ネットを失って路頭に迷う貧困層とを生んだ。「お金がうまく回っていかない社会」である。〉
心に狂いが生じるとき―精神科医の症例報告

心に狂いが生じるとき―精神科医の症例報告

以下、「はじめに」よりメモ。
精神疾患は、過酷で残酷なものだ。たとえばうつ病は「心のかぜ」と呼ばれることもあるが、決してそのように軽く扱ってよいものではない。病状が慢性化して仕事をすることも不可能となり、長年に渡って本人や家族が苦しむことも珍しくはない。ただそれにもかかわらず、精神疾患による脆弱で不安定な心の有り様は、どこか不思議な魅力に満ち、人の心を引きつける力を持つように思う。普通の人物が小さな狂いをきっかけとして、精神全体を病んでしまう、あるいは人を殺めてしまうような取り返しのつかない行動を起してしまう。そここには日常と非日常の裂け目のような、底の見えない怖さが存在している。精神の「狂い」は、われわれが確固たるものとして信じている安定した日常的な世界の風景が、実は単なるフィクションに過ぎないことを示唆するようにも思える。しかし同時にそうした患者においては、どんなに病に翻弄されようとあるいは周囲から無様に見られようと、理不尽とも思えるこの世界を生きていこうとする人間の力を感じることもできる。本書の中で少しでもそうした彼らの姿を伝えることができればと思う。〉
↑ ただし本書に述べられてる数々の症例に、不思議な魅力や前向きな力は感じられない。本書を読んで知るだけでも、狂いは苦しい。しかし、それらひとつひとつに著者は精神科医として向き合っている。すごい書名だけど、こういうタイトルはそうしてきた現場の精神科医にしか付けられないだろうな。