その後の「調子っぱずれ」

フリーペーパー「TOKYOなんとか」10月号に掲載された、イルコモンズさんの原稿のある一節にすごく興味を持ったので、今日はその「TOKYOなんとか」を持って精神病院に診察を受けに行きました。
〈おそらくそれは、日ごろ、聞きたくもない音楽や見たくもない広告、知りたくもないニュースや食べたくもないメニューであふれた、アシッドな資本主義の世界で、あたまを狂わさずにサヴァイヴしてゆくため、知らず知らずのうちにOFFにしていた感覚がオープンになり、リヴァイヴしたのだと思う。〉(「イルコモンズのなんとか原稿」より抜粋)
近況についてやりとりをしてから、上の部分を素早く朗読し、この原稿の背景、「なんとかフェス」について簡単に説明して、ディスカッション。
情報があふれている社会で、そのあまりの量を負担に感じてるうつ病患者は確かに多いです、ということを担当医は言います。入院治療の目的のひとつは、情報の遮断もあるらしい。でも、そんなふうに強制的に遮断されなくても、僕の場合は携帯電話を解約したり、mixiを退会したり、自分で調整してきたからいい。ここでサヴァイヴしたいのです。いまは本も読めるようになった。音楽も聴いている。七尾旅人×やけのはらの「Rollin' Rollin'」を先週から100回以上も。
薬物療法や入院治療も必要な人は必要だろうけど、僕がここにサヴァイヴのヒントがある、と思ったのは、〈「なんとか」なりそうにない場面になればなるほど、みんなでよってたかって「なんとか」してしまう、たくましい生活である〉という部分です。
風に揺れる不安定なテントをペグで固定してくれたり、雨を防ぐフライシートをかけてくれる仲間がいること。ペグの打ち方、フライシートの役割を知るなど、自分自身もたくましくなること。そういうのが大事なんじゃないかな、と僕は話し始める。遮断(防御)を解いていくときに、それまでの自分だったら「調子っぱずれ」もそのまま襲ってくるから。
診察室の中のことは、あまりコモンズにするのもあれなのでここまで。
おまけ。「見たくもない広告」(僕の場合は、オリンピック招致のあれ)とか、イヤなものにはごちゃごちゃ言ってると、周りにも実は同じように感じてる人がいることがわかったりして、これをイヤがるのは自分だけなのかなんて、不安にならずにすみます。
「TOKYOなんとか」10月号の全文はここで読めます。
http://illcomm.exblog.jp/10290061/