「アナーキスト・ドラム・ギャザリング」

tuktukcafe062009-07-06

東京外語大での「アナーキスト・ドラム・ギャザリング」に行ってきました。
「サンバに主人公はいない。誰もが主人公だ。そんな音楽を東京で作りたい」と15年ぐらい前に言っていたのはTHE BOOM宮沢和史だったけど(その言葉通り、彼はリオで大量の打楽器を買い集め日本に送り、『極東サンバ』というアルバムを作った)、僕は今日はじめて、「主人公はいない。誰もが主人公だ」という言葉の本当の意味を知った気がする。この「アナーキスト・ドラム・ギャザリング」に参加したことによって。みんなで作り出したリズムがどうしようもなく身体と心を揺さぶることも。
追記(7月9日) ドラムサークルは去年の年末、国分寺のカフェスローで初めて体験している。でも、そのときは住宅街にある会場という制約のために、いわゆる太鼓系のドラムではなく「トーンチャイム」やシェイカー系の楽器を使ったものだった。
今回の「アナーキスト・ドラム・ギャザリング」は上の写真のように、教室の真ん中に様々な打楽器が置かれ、それを囲むように椅子が輪を作っている。
アナーキスト・ドラム・ギャザリング」という名称の中の「アナーキスト」というのは、無政府主義者という意味からではなく、リーダーもコーチもいないし、ルールもないということからだそうです。
用意されていた打楽器は、パンデイロ、タンボリン、ヘピニキ、アゴゴ、クイーカ、チンバウ、スネアドラムなど、ブラジル、ラテン系が中心だけど、その中にダラブッカやドラや、仏前で「ちーん」という音を出すもの(名前わからない)、インドのアルミのカレー皿などもある。「楽器の持ち込み歓迎」ということだったので、僕はプラスチックのワインクーラー(?)と菜箸2本を用意していった。
各自、好きな楽器を取るようにと、ファシリテーターのイルコモンズさんが言い、それぞれが自分に合いそうな楽器を取り、また席に戻る。僕はそのままワインクーラーと菜箸。隣の席の河原崎さんはスネアドラムを選んだけど、スティックがない。僕の菜箸を一本貸してあげようかと思ってたときに、イルコモンズさんが、「何か足りませんよね」と言い、ドラムスティックからバチや、先端が分かれているものまで、様々な形状のスティックを提示した。「この中から好きなものを選んでください」と。僕から見ても間違った組み合わせをしている人もいる。でも、「ルールはないから自由です」と。まるで、「禁止することを禁止する」みたいな。
この時点で、僕は(たぶん、僕らみんなは)早く音を出したくてうずうずしてたんだけど、その前にと、去年の沖縄・高江でのドラムサークルと、洞爺湖サミットへのアクションとして、初めて楽器を手にした人たちが数時間でそれなりのアンサンブルを形成していく映像、ニューヨークのセントラルパークでのドラムサークル、そして、いま公開中の映画『扉をたたく人』の予告編映像をスクリーンで見る。
イメージができ、音を出したい気持ちが最高潮に高まったところで(楽器を初めて演奏することにあたって、緊張とか不安とか恥ずかしいとかいう気持ちが一切なくなっていた)、1999年にシアトルで起こったデモの「音」を聴きながら、僕らがそこにいたらどんな音で参加しますかという課題が出され、ついに演奏が始まった!
わくわくしながらどかどかとぺこぺこ(←僕のプラスチックの音)とがしゃんがしゃんと叩く。楽しい。
イルコモンズさんは、どんな叩き方をするのも自由だけど、楽器には先人たちの知恵が詰まっている。だからそれを尊重してみましょうと、楽器とスティックの組み合わせが極端に合っていないものを示唆してくれ、その一方でマハトマ・ガンジーの「間違う自由が含まれないのであれば、自由は持つに値しない」という言葉を引用して、楽器や音楽への敬意と共に、演奏者の自由をも確保する。
小さな打楽器の音にも耳を澄ますことを学び、管楽器も加わり、僕らのアンサンブルは豊かになっていった。途中に10分の休憩時間が設けられてたんだけど、その間も自発的に演奏は始まり、それは輪を作っていった。あっという間の、100分のワークショップだった。
中庭では、イルコモンズさんもメンバーである「ウラン・ア・ゲル+T.C.D.C」の野外ライヴがこのワークショップの延長のように始まり、僕らも当然のように楽器を抱え、参加したのでした。