旅の写真の話

「本当の僕は、とても怠惰な人間なんです」なんてことをMIYA(宮沢和史)は言った。でも、誰も、誰ひとりも、絶対にMIYAのことをそんなふうには思わない。
MIYAといえば、仁礼(博)さんが話したように「いつの間にかポルトガル語で歌い、いつの間にか英語で記者会見を受け、父親でもあり」(きっとそれ以外に30ぐらいの役割をこなしてる)、常に前に、未開の道を切り進んで行ったオリジネイターという印象だ。それを立証する実績だって充分ある。
でも、MIYAは「違う」という。「だから、僕は先に目標を決めて飛んでしまうんです。飛べるわけがない。それでみんなの力を借りる。飛べなかったら勉強して、また飛ぶ」。その連続の20年間だったと。
今夜は新宿で開催中の「THE BOOM 20周年記念写真展 宮沢和史、地球をつなぐ旅」の特別企画、宮沢和史とフォトグラファーの仁礼博さん中川正子さんトークショーに行ってきました。
ふたりとも僕にとってとても大事な人。仁礼さんとは90年代後半にブラジルへ約3週間、ロンドンに1週間の旅をした。いずれも写真集を作る旅(→。ブラジルツアー日記のリンクが消滅してるのが悲しい)。MIYA曰く、「仁礼さんとの旅は、“勝負”に行くときが多かった」と。確かに、初めてのブラジルツアー。初めての海外ソロ・レコーディング、初めてのヨーロッパ・ツアー等々。戦いの記録。
21世紀になって最初の3年間ぐらいは主にナカマサこと中川正子さんが撮っている。国内の野外ツアーでの写真もある。このツアーは自然や観客、天候も含めて「Field of Songs」だった。だからナカマサはステージだけではなく、花も人も撮る。ハピネス。僕が特に好きなのは、雨の三重で撮られた、ビニールコート姿でステージを見つめる子ども連れ夫婦の後ろ姿。
ナカマサはMIYAのことを「師匠のような存在」と話していた。インドネシアでの撮影で自分を「無」に感じたこと。そこから、MIYAの背中を追っていったこと(6年前の津田塾大での彼女の講演の感想をここに残しておいた!)。そして、きっちりと自分に対峙し、常にアップデートして、「残したいと思った瞬間を記録し」ている。
三者三様の旅の写真。7月10日まで。
「それで僕はいまどこにいるんだ?」ってことを、帰りの電車の中で激しく考え込んでしまった。