立教大学のキャンドルナイト/「世界の終わり」

詩人ウチダゴウさんの案内文に誘われて、立教大学キャンドルナイトに行ってきました(→)。
天井まで3メートルぐらいあるチャペルの中で、キャンドルと窓からの明かりだけで風義さんが歌いました。時間とともに外からの光が少なくなっていき、チャペルの中に闇が降りてきて、とてもいい感じ。
風義さんやウチダゴウさんに会うのは、今年3月の「バカ環」以来でした。
1Q84』を読み始める前にと思って、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を再読しています。毎晩、眠りに落ちる前に数章ずつのゆっくりとしたペースで。むかしは気づかなかったことがたくさんあった。これもまさに光と闇の世界。
村上春樹イスラエルでのスピーチで「壁」という言葉を使ったときから、この小説の中の「世界の終わり」を思い出して、読み返さなくちゃと考えていたのでした。いまがそのタイミング。たぶん、今夜か明日ぐらいに読み終えて、夏至の夜から『1Q84』を読み始めます。
追記(6月20日)  読み終えました。全部を通してこの小説を再読するのは、僕が持ってるのは初版だから24年ぶり!
光と闇。
完結性と完全さで成立した、高い壁に囲まれた「世界の終わり」。
〈君は俺にこの街には戦いも憎しみも欲望もないと言った。それはそれで立派だ。俺だって元気があれば拍手したいくらいのもんさ。しかし戦いや憎しみや欲望がないということはつまりその逆のものがないということでもある。それは喜びであり、至福であり、愛情だ。絶望があり幻滅があり哀しみがあればこそ、そこに喜びが生まれるんだ。絶望のない至福なんてものはどこにもない。それが俺の言う自然ということさ。〉
心をとりもどすきっかけが唄だったということも忘れていました。
〈僕はあまりにも長いあいだ唄を失っていたので、それに対する飢えさえをも感じとることができなくなってしまっていたのだ。音楽は長い冬が凍りつかせてしまった僕の筋肉と心をほぐし、僕の目にあたたかいなつかしい光を与えてくれた。〉