ナンミン・ドキュメンタリー映画『バックドロップ・クルディスタン』

近所のポレポレ東中野に、映画『バックドロップ・クルディスタン』を観に行きました。タイトルにある「クルディスタン」とは、クルド人の国、という意味。でも、そんな国はいま地球上に存在しない。
僕がクルドに興味を持ったのは、船戸与一の小説『砂のクロニクル』からだ。こんなストーリー。
民族の悲願、独立国家の樹立を求めて暗躍する中東の少数民族クルド。かつて共和国が成立した聖地マハバードに集結して武装蜂起を企む彼らだったが、直面する問題は武器の決定的な欠乏だった。クルドがその命運を託したのは謎の日本人“ハジ”。武器の密輸を生業とする男だ。“ハジ”は2万丁のカラシニコフAKMをホメイニ体勢下のイランに無事運び込むことができるのか?(上巻裏表紙より)
しかし、『バックドロップ・クルディスタン』はそんなハードボイルドな冒険活劇ではない。
映像系専門学校に通っていた監督・野本青年(1983年生まれ)が、卒業制作の企画として、埼玉県川口に暮らすクルド人のカザンキラー一家と出会い、撮り始める。カザンキラー一家は難民申請をして、第三国出国を目指すが、日本の入管は、父と息子を亡命元のトルコに強制送還してしまう(国連が難民認定をしてたのに! 日本は1件もクルド人の難民申請を受け入れてない)。妻、娘もまた強制送還に。
野本青年は学校を中退して、なぜ彼らが故郷を捨て、難民となって亡命しようとしたかを知るために、トルコに向かう。
映画は、最初はこの「カザンキラー一家を追う」ドキュメンタリーだったのが、このトルコでの旅から、「カザンキラー一家を追う野本青年を追う」ドキュメンタリーに変化していく。
彼らはいま故郷を捨てて、ニュージーランドに難民として受け入れられて暮らしている。野本青年はまた彼らを追ってニュージーランドに行く、という内容。
で、今夜は上映後にトークショーがあって、会場にいる野本監督と、ニュージーランドのカザンキラー夫婦とインターネット映像での会話がスクリーンに映し出されるというものでした。
映画としては、「うかつ」パワーで突っ走っていく野本青年の、野暮なところもある映画なんだけど、やっぱりさー、ドキュメンタリーに「客観」を求めるのは違うなあ。こういう「僕が知りたいから僕が撮る」でいいのだ、と思いました。
あと、フライヤのビジュアルとか、この映画タイトルの付け方とか、コピーとか、コメントを寄せてる人たちの人選(森達也、イルコモンズ、中川敬ピーター・バラカンミノワマン等々)とか、映像の野暮ったさ(繰り返しごめん。でも好きだぜ、君の疾走っぷり)とは逆にお洒落なんだよな。
映画『バックドロップ・クルディスタン』公式サイト http://www.back-drop-kurdistan.com/