「HABATAKE!」

関野吉晴さんのトークも聞きたかったので、映画『プージェー』を日曜13時の回を目指して行くが長蛇の列で入れず。雨の中、再び自転車で帰宅。
GANGA ZUMBAの「HABATAKE!」がPUBLIC VIEWINGのテーマソングとなった。(→ 記事
4月のSHIBUYA-AX、ARABAKIで観たときから、「HABATAKE」の最後のSING OUTの部分は、「アイーダ」みたいだと思ってたので、すごくうれしい。あの部分で「HABATAKE!」はステージ上の10人だけの歌ではなくなって、バトンはステージから客席に渡される。観客の僕らをも鼓舞する。
このピッチの上、円陣を組んで、いま、散っていった日本代表は、私たちにとって「彼ら」ではありません。私たちそのものです。
1997年のジョホールバルの日本対イラン戦での山本アナウンサーの名セリフみたいなあの感じ。
□ 4年前のワールドカップ 日本対ロシア戦 PUBLIC VIEWING国立競技場日記(2002年6月9日)
 外国語を覚えるのは難しいです。なんで難しいかというと、日本に暮らしてると「覚えなくちゃ」という必然性があんまりないからなんです。でも、これからの僕は違うのです。買ったままで2年ぐらい寝かしてあったスペイン語会話集を手に、僕はこの日、本川越行きの西武新宿線に乗り込んだのでした。ポケットサイズのノートの左ページに、スペイン語の例文(「こんにちは」「私の名前は〜です」という超入門レベルからのスタートなんですが)と読みのカタカナ、右ページにそれに対応した英語を記していきます。アルゼンチンからアルフレッド・カセーロが来日したということで、どこかで会えたら話をしてみたい、と思ったからなのです。僕の必然性というやつは。
 終点、本川越駅の改札を出ると、「THE BOOM 青空コンサート 尚美学園行きバス」というプラカードを手にした男性が何人か立っていました。このコンサートは、川越いもの子作業所という、障害者のための作業所が主催したイベントで、多くのボランティアスタッフが半年以上も前からこの日のために準備を進めてきていたのです。
 会場である尚美学園の中庭は、としまえんの流れるプールみたいな水路が四方を囲んでいます。流れてないから水路じゃなくて池なのか。会場にはおそろいのオレンジ色のTシャツを着たボランティアスタッフたちが、お客さんの誘導や、パンフレットの配布などを行なっています。中央には特設されたステージがあります。ステージの右側には障害者席があります。知的障害者や重症心身障害者たちが通う「いもの子作業所」でこの日のために作られたうちわやせんべいなどは池の外側のテントで売られています。
 夏のような強い日差しの下で行なわれた、まさに青空コンサート。ライヴの内容はツアーがまだ続いてるので(というかスタートしたばかりなので)書きませんが、どうしても書きたいことをひとつだけ。この日、右スピーカーの袖に、歌やMCの内容を手話で客席に伝えている女性がいました。僕は彼女の存在に気付いてからは、彼女の手の動きを見ながら歌を聴いていました。こういう経験ははじめてでした。そして、美しい詞は、手の動きも美しいということを知りました。「さとうきび畑」の中の“鉄の雨にうたれ父は死んでいった”というフレーズは、 手の動きを見ているだけで悲しみが伝わってくることを知りました。
 もうひとつ。僕は会場でアルフレッド・カセーロに会いました。THE BOOMのコンサートを観に来ていたのです。クラウディア・大城(彼女とは数カ月前に極東ラジオの収録で会ったことがあります)とフリオ・新垣にも会うことができました。もう、いきなりスペイン語を使いました。いきなり過ぎて、僕の学習量に会話が全然おっつきませんでした。あたりまえです。でも、そのおっつかなさ具合、もっと伝えたいことがあるのに〜、という悔しい気持ちがスペイン語を覚えるために必要なモチベーションになるような気がしています。今はね。
 で、この日、僕はTHE BOOMのコンサートが終わったあと、すぐに渋谷に移動して、中村一義のツアー博愛博最終日を観に行くつもりでした。ところが、先に会場を出たカセーロたちが、国立競技場での“PUBLIC VIEWING”に向かったと聞いて(国立の巨大ビジョンで、日本対ロシア戦を観戦するというイベントです。僕は初戦のベルギー戦も観に行ったのです)、急きょ僕もカセーロたちを追っかけることにしました。僕らがスタジアムに到着したときには、カセーロたちはすでに入場していていました。この“PUBLIC VIEWING”にはキックオフの前にDJタイムがあってスタンドを思いっきり盛り上げるのです。僕らが到着したのは、DJ DRAGONが「島唄」をプレイしていたその瞬間でした。入場前だったからスタンドの様子は見ることができなかったけど、大合唱が響いていました。50,000人ですよ。50,000人の「島唄」!
 ハーフタイムで、僕はカセーロに訊きました。スペイン語じゃなくて、英語だけど。「どうだった?」って。カセーロは「“風に乗り、鳥とともに、海を渡った”(ここまでカセーロは日本語で言いました)『島唄』を、僕がアルゼンチンで受け取り、それを投げ返した。今、僕は日本にいて、『島唄』をこの場で、こんな大勢の人たちと一緒に唄うことができた。それは信じられないぐらい素晴らしいことだ」と答えてくれました。
 僕らはプレス席にいたんだけど、カセーロはすごく目立ちます。日本のチャンスになると立ち上がり、全身を使って応援のリズムに乗り、僕らを鼓舞します。試合後、日本人サポーターにも抱きつかれてるし。フリオはハーフタイムに日本のユニフォームを購入して、それまで着ていたアルゼンチン・ユニフォームの上に重ね着してました。結果は、言うまでもなく日本の勝利! サッカーについて、それもワールドカップについて書き始めると、異常に長くなりそうなので(それでなくても今日の「日記」はトピックが多すぎ!)あとは省略します。千駄ヶ谷から新宿まで歩いて帰ってきたんですけど、行き交う人全員とハイタッチしてきました! パレードです。通り過ぎる車やバイクはクラクションで僕らに応えてました。代々木駅でも新宿駅でもコマ劇前の広場も、歓喜の輪が広がって大騒ぎでした。日本じゃないような夜、光景でした。