FUNKISTのライヴに行ってきた

FUNKISTのワンマンライヴを渋谷0-WESTで観てきました。
2年前の沖縄、知花竜海の車の中で(僕らは本島南部での宮沢和史のライヴ会場に向かってた)初めて「FUNKIST」という清涼飲料水みたいな名前のこのバンドのことを知った。初めて観たのは(そのときに初めて音も聴いた)去年6月の“CLAP HANDS”。でも、もう今日新しい歴史が始まった。
素晴らしいライヴだった。こんだけずーっと集中してステージを観続けてたライヴってないなあ。ドリンクチケットを最後まで替えに行けなかったぐらい(そんなこと忘れてた)の2時間40分。
FUNKISTのライヴは途切れない。曲の始まりの「カウント」もない。合図がないのに、始まる。何をきっかけとしてるのかMCの途中でも次の曲のイントロがスタートする。最近のエレカシは曲を決めてなくて一曲終わるごとに宮本がステージ上で指示を出してライヴを進めるということをどこかで読んだことがあるけど、FUNKISTはまったく逆。だからといってシステマティックなショーかというと違う。一体感。バンドがひとつの生き物みたいになってる。だから誰かの合図、指揮なんていらない。これは観て驚いてもらうしかないけど(おれ、早くまたライヴを観て驚きたいよ)。すごいんで観てる方もバンドと一体化してしまう。だから途切れない。あ、システマティクなショーではないという証明に(そんなことを証明するためのトライではもちろんないだろうけど)、最後から2曲目には、即興で曲を作るということもやっていた。客席から3つのテーマを上げてもらい(「人生」「ONE LOVE」「絆」というのが提案された)、その3つを入れ込んだ歌詞をホントに即興で作り、歌う。すごい。
すごいんだ。いちいちすごい。ギタリストはソロを弾く代わりに手品をする。ホント。何度も破った新聞紙が元通りになったり、スーツ着たパーカッショニストのシャツを一瞬にして抜き取ったり、目の前でそんな手品見たの初めて。そんなことを曲の間奏でやるというのがすごい。って手品だけがすごいというわけではない(手品は一曲だけ)。これではコミックバンド、じゃないやマジックバンドと間違えられてしまう。音楽だ。音楽に魔法がある。でも、FUNKISTはどんな音楽と説明すればいいんだろう。FUNKという言葉がバンド名に入ってるけどファンクバンドではない。ラスタカラーを使ってるけど(「月下のラスタカラー」という曲もある)レゲエバンドではない。フルート奏者がいるという編成は普通のロックバンドじゃない(ボーカル、ギター×2、ベース、パーカッション、ドラム、フルートという編成)。あと、三線を使った曲が一曲あったけど沖縄出身のメンバーはいないそうだ。関係ないけどパーカッショニストはスーツに裸足だった。ってやっぱり説明に困る。困りすぎるけど、終盤に「幸せであるように」のフレーズを使った曲をやっていて、あ、フライングキッズだと思ったんだ。なんかフライングキッズだ(なんだ、その説明)。君が幸せであるように祈る、誰かが引いたボーダーなんて越えようと歌う。「音楽があれば無敵だ。音楽がなくても無敵だ」なんて叫ぶ。ボーカリストの言葉はオノヨーコのようにポジティヴだ。オノヨーコ的というのは僕の日記的な形容なんであんまり真面目に類似点や相違点を探されても困るけど。しかしなんで僕が文字にした途端に魔法は解けちゃうんだ。僕も音楽がなくても無敵な言葉で想いを伝えていきたいのに。
彼は、ボーカリストは、南アフリカと日本とのミックスだそうだ。今日発売になったシングルのタイトルは「ジャパリカンSOUL」。ジャパンとアフリカの魂。2月には南アフリカにツアーに行くと言っていた。南アフリカでのおばさんのエピソードとその歌はとびきり感動的だった。二階席からでも彼のほおを伝わる涙が見えた。
今日のワンマンまでFUNKISTはずっと日本各地で「絆」をテーマにしたツアーをやってきたそうだ。僕はそういったことを知らない。実はまだメンバーの名前も覚えてない。各地でコラボレーションを重ね、沖縄でのことは友だちから聞いていた。今日のライヴには富山から、大阪からコラボレーション仲間が駆けつけていた。沖縄からはカクマクシャカ。「民のドミノ」を初めて生で聴けた。「民のドミノ」FUNKISTの曲ではないのに、FUNKISTが演奏する。カクマクシャカが高速ラップを見せた。
えーと、眠いのでもう書くのやめときます。最後の曲(「白い世界」という新曲)、あれでホントに会場を出て雪が降ってたら魔法だったのに、雨だったよ。