忌野清志郎氏、中野六区から立候補!

忌野清志郎氏(無所属)が中野六区から立候補することを「Project Disagree」で知りました! これは合意する!
僕はさらに夢想する。清志郎は、爆笑問題太田光が語っていた以下のエピソードから、この「立候補」を着想したのではと。「投票に行こう」とは訴えずに、一足飛びに選挙に自分が「立候補」してしまう。これが清志郎の飛躍力(JUMP!)である。
爆笑問題 太田光
 清志郎さんと初めて会ったのは、この雑誌の連載で、私が政治について、「投票率なんか低い方が良い。興味がなければ、選挙なんか行くな」と書いたとき、その文章に清志郎さんが怒り、一度会いたいということで、対談という形でお会いすることになったときだった。
 指定された店で私は、怒られるんだろうなぁと思い、少し憂鬱で、それでも清志郎さんと会えることは楽しみで、緊張しながら待っていた。そこへ清志郎さんは、ホラ貝を吹きながら突然現れて、「キミはケシカラァ〜ン! あんなことを言っちゃイカァ〜ン」と、とても照れくさそうに、下を向きながら言った。私は楽しくて、大爆笑してしまった。清志郎さんは、「キミのような影響力のある人が、若者にアンナこと、言っちゃイカァ〜ン」と言っていた。私がそれに反論すると、清志郎さんは、「…うん。…うん」とジッと聞いてくれた。私は、政治家なんかに世の中は変えられない。それよりもRCの、たった一曲の歌の影響力の方が全然強い。政治なんかに期待することなんかないじゃないですか、と熱弁した。清志郎さんは、私の話を全部肯いて聞いてくれて、私が話し終わったあとに、「…それでも、あれは、イカン!」と、またホラ貝を吹いて笑わせた。その調子だから、論争なんかになりはしなかった。
 今から考えれば清志郎さんは、私と論争するつもりなど、最初から、さらさらなかったのだとわかる。私はあのとき、自分ばかり言いたいことを言って、いい気持ちになっていた。“清志郎に、言ってやった”つもりでいた。しかし私があのとき言ったことなんて、清志郎さんは百も承知だったハズだ。自分が影響力があるからこそ、清志郎さんは真っ直ぐに若者に向かって、「意識を持て」というメッセージを送っていた。だから、無責任な主張を垂れ流してる私の言葉と態度が許せなかったのだ。でも、だからと言って、あの場で私を“言い負かすこと”なんかに、清志郎さんは何の興味も持っていなかった。だから、私がどうケンカを吹っかけても、その度にホラ貝を吹いて笑わせた。勝負だなんて思っていたのはこっちだけで、清志郎さんは青臭い若造と勝負しようなんて気は、初めからさらさら、なかったのだ。(後略)
(「テレビブロス」2009年5月30日号より)
なお、この対談は1999年に行なわれたそうで、上の「JUMP」のリリースは2004年。太田光が「総理」になったのは2006年からである(日本テレビ太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』)。
ちなみに清志郎が「立候補」した中野区は、太田「総理」の事務所のある阿佐ヶ谷(杉並区)と小選挙区では隣接している。ここでも、同じ選挙区で直接、勝負しようなんて気は「さらさら、なかった」ことがわかる。