100年前の曾祖父について想う

たびたび書いたけど、僕は中学の頃から、日本人移民にずっと興味を持っている。
興味を持ったきっかけは去年、「移民の日」に日記に書いた。
アメリカに出稼ぎに行っていた僕の曾祖父は、アメリカのワイオミングで鉄道工夫をしていたらしい。どんな暮らしをしていたのか知りたくて、移民に関する本や映画は継続的にチェックしている。
昔、原稿を書いていただいたこともある藤崎康夫さんが編集した『日本人移民 ハワイ・北米大陸』(日本図書センター)によると、〈西部開拓時代、鉄道建設は、資本家にとっては、最も魅力ある事業の一つとなっていた。鉄道敷設と保線のための労働者として日本人移民が導入されたのは1891年(明治24)年、田中忠七が「ユニオン・パシフィック鉄道会社」と工夫契約を結んだのが、はじまりと伝えられる〉(同書より)らしい。
僕の曾祖父は明治17年1884年)生まれだから、年齢的に考えると、〈1902年、中国移民の導入が全面禁止になると、いっそう日本人移民が求められ、1905(明治38)年には、在米日本人6万1384人中、1万1683人が鉄道労働者となった〉という、この時期にアメリカに渡っていたのだろう。上の写真は同書に掲載されていた日本人工夫たちの写真。
〈日本人工夫は、西海岸から約1000キロ離れた山中で鉄道敷設に従事した。賃金は10時間1ドルか1ドル25セント。他の職業より高賃金だった〉

日本人移民―写真・絵画集成 (1)

日本人移民―写真・絵画集成 (1)