三保航太×はらだゆきこ


「大丈夫、もっとダメな人間がここにいるぜ!」と自信もって答えられる、そういう、ダメな方向に長けている人がいたほうが、「うつ病」の人にとっては気がラクなんじゃないかと思います。(はらだゆきこ)


僕とうつとの調子っぱずれな二年間

僕とうつとの調子っぱずれな二年間

  • 作者: 三保航太,はらだゆきこ
  • 出版社/メーカー: メディア総合研究所
  • 発売日: 2009/05/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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『僕とうつとの調子っぱずれな二年間』は、僕の体験文章と、そのマンガから構成されている。マンガを描いてくれたのは、はーぴーことはらだゆきこさんイラストレーターであり、デザイナー。僕の元同僚で、同じ音楽事務所に勤めていた。当時は僕が文章を書いたり、編集して、はーぴーがそれをデザインするというのが基本パターンでした。 「朝霧JAM」仲間でもあり、そんなフェスだけでなくて去年ぐらいからたくさんのデモにも一緒に出掛けている。
僕の調子っぱずれな二年間のうち、とてもダウナーな時期は、フォトグラファーのナカマサとはーぴー以外、ほとんど連絡を取らなかったし、また、「暗示の外に出ろ」という声に促されて出た世界では、いろんな場面で一緒にいることが多かったというわけ。たとえば、「のびのびイルコモンズ」というデモであったり、代々木公園10キロレースだったり、本では書ききれなかったエピソードも数多い。
だから、自分の体験をマンガにしようと思ったときに、はーぴー以外の適任者は考えられなかった。一見シンプルに見える絵だけど、そこにこめられた情報量、リアリティは実はすごく濃く、僕がうまく言語化できなかったことが魔法みたいに簡明にビジュアル化されてる。なんて、すごいんだ。
ということで、僕が筆名でいることだけは相変わらずとても居心地悪いですが、インタビューです。(三保航太)
三保航太  〈無口になったぼくは ふさわしく暮らしてる〉という「多摩蘭坂」の歌詞を引用したように、僕はうつ病になったことを仕事のクライアントぐらいにしか伝えずに、blogも休止宣言をしていた時期があったんですが、その少しあとから、ナカマサとはーぴーには「潮干狩り通信」という件名のメールを送ったんですよね。
近況報告というか、病状報告。友だちを不快な想いにさせちゃいけないという気持ちと、でもだから知っておいてもらいたいという背反する気持ちがあったのですが、ああやってメールを出すために自分の中のものを整理することがよかったってすごく感謝してるんです。
はらだゆきこ  「潮干狩り通信」が、ミヤスさんにとって、他人との繋がりの唯一の架け橋なんだという感覚だったので、とにかく下手な返事はできない、というキモチが強くて熟考した記憶があります。
私がライトで気軽な返信なら、ナカマサはディープに、とかナカマサと私でなんとなくバランスをとった返事を書こうという不思議な共通認識が出来ていたと思います。ま、私はいつもお気楽な返事側でしたが。
対面して直接話すのと違って、メールというのは本当に情報量が少ないので、こういうときもどかしいなぁと思いました。
三保航太  はーぴーは絵はがきで返事をくれたんだよ。絵はがきっていいよね。文字量は少ないのに絵があって、そこから差出人の気持ちを想像できる。50円切手が必要だし、時差もある。でも、それがなんかやさしい。郵便って届くまでの時間で熟成されるんだよね。
はらだゆきこ  あーそうでしたねぇ。メールってすぐ返信しなきゃってとこありますけど、絵はがきはそういう心理的な負担も軽いし、こっちも思い立ったときにてきとーに出せるし、いいメディアなんですよ。
当時、銀座・鳩居堂のシルク刷りの絵ハガキの収集に凝っててハガキがいっぱいあったんで、出す相手も欲しかった(笑)。
ミヤスさんも旅先で買ってあった外国のポストカードで返事をくれてましたよね。
解体屋外伝 (講談社文庫) 三保航太  外国でのお土産、しかも自分へは小銭で買えるポストカードばっかりですから。
ところで、本の中でもキーワードになっている「暗示の外に出ろ。俺たちに未来はある」という言葉は、認知療法的にもとても重要だったのですが、あの言葉はいとうせいこうさんの小説『解体屋外伝』の中で発せられたセリフで、実際にその言葉が引用されたいとうせいこうさんの代々木野音でのポエトリー・リーディングを2008年4月に体験したことが僕にとっては「外」に出るいちばん大きなきっかけだったと思います。そこからビルマだけでなく、チベット問題、高尾山のトンネル工事、渋谷の宮下公園ナイキ化問題、沖縄の泡瀬干潟埋め立てなどさまざまな問題にコミットしていくようになりましたから。あの言葉は偶然が重なってはーぴーにも強く作用したんですよね。それでデモにもよく一緒に行くようになった。
はらだゆきこ  ミヤスさんとは、一時期メールも、あっちこっちで会う回数もものすごく多かったですね〜。
社会の問題に対して違和感や憤りを感じた時に、どんどんスピークアウトすべきだ!というふうに自分の意識が変わっていった時期に、ちょうど同志が近くにいた!という感じでした。ミヤスさんはもともとそういう意識を持っていて行動してましたけど、私は2003年のイラク戦争のデモなんかも、誘われながらもなんか理由つけて行かなかったし、問題意識はあってもそういう行動には関わってなかったんです。意識が変わったきっかけは、坂本龍一さんが立ち上げた「STOP-ROKKASHO」と高円寺の「素人の乱」が出てきたあたりです。時期にすると2006年ですかね。共通するところは、過去の社会運動と違うアプローチをしている、という点でしょうか。
これなら、私も参加したい、自分ならこんなことができそうだ、と触発されるものがあったんです。
そんなある日、ミヤスさんから『解体屋外伝』を何気なく貸してもらったんです。で、ちょうど読んでいたころに、あの代々木公園でのせいこうさんの「演説」があって、しかも印象的だった「暗示の外に出ろ。俺たちに未来はある」という言葉が引用されていて、そりゃもう、声をあげそうなほどびっくりしました。シンクロってる〜!!
あの煽動的な語り口で“善”を語ることが、悪が世を覆うなら善が世の中を覆ってもいい、という言葉通りに、逆手に取ってる手法だったのが、すごい!!と思いました。
そのまま感動した部分もありますが、あのスタイルでやったということで、言ってる内容が逆でも、自分や観客は、熱狂的に支持してしまうかもしれない、という危うさや怖さも感じました。人はすごく暗示にかかりやすいものなんだと。
あと、余談ですがあのときは、せいこうさんがミャンマー軍事政権に抗議するTシャツを作ったのを知って、こっちもなにか出来ることをやろうと、本が読めたり文章が書けるようになってきたミヤスさんに「無印良品」の紙袋の文字を少しだけ変えて「反戦」的なメッセージを作れないだろうかと相談したんです。そして出て来たアイデア「無戦良国」。すごくいいと思いました。
で、この改造した「無印良品」の紙袋を持って代々木に行ったんです。せいこうさんにも見えるように前列でアピールしたけどね〜まあ気付かなかったと思いますが。かなり忠実に作ったので、本当に無印良品がやったアクションだと勘違いした人もいたくらいでした。自分的には記念すべきカルチャー・ジャミング第一号作品。あれは面白かったですね。
三保航太  「うつでいるより、うかつにでも行動したい」という時期でした。世の中のイヤなことに、煙草のポイ捨てからガザ空爆まであらゆることに文句を言ってましたね。精神科医だったらそれは抗うつ剤による攻撃性の発露と診断するかもしれないけど、僕としては自分が世界に変えられないための抵抗でした。
『僕とうつとの調子っぱずれな二年間』という本は、最初話していた段階ではマンガだけで作ろうということでしたよね? イラストレーターであるはーぴーにとって、マンガ化の苦労はどういうところにありましたか?
はらだゆきこ  まずは、私はデザインやイラストは描いていても、このようなストーリーのあるマンガを描いた経験は無かったので、自分に出来るんだろうかという漠然とした不安がありました。なので、手塚治虫を超えようとか壮大なことは考えず、コマ割りを基本1ページ9コマにすることなど、フォーマットをきちんと決めるところから考えていきました。
一番難しかったのは、ほぼ一人語りの文章を、どうやって「会話」で話を進めていくか、というところ。そのままマンガにするとモノローグばかりになってしまうので……。そのあたりテキストとマンガを比べ読みすると面白いかもしれません。
あと、フィッシュマンズの佐藤くん、どんと、ジャック・ラカンいとうせいこうさんなどの似顔絵を描かないといけなかったのは苦労しました。似顔絵って苦手なんですよ! 全然似てないのも申し訳ないし、せいこうさんなんてすごいファンなのに、なかなか似なくてあせりました。
三保航太  僕の原稿も一章ごとに渡していくし、はーぴーのマンガを見たあとで文章を直したり、逆に文章にはないエピソードがマンガでは追加されたり、面白いコラボレーションだったと思っています。マンガという表現にずいぶん助けられてます。例えば、最終章のうつ病者の心の状態を雨漏りするテントに比喩したところ。僕の文章だけでは充分に伝えることはできなかったかもしれない。はーぴーとしては、いちばん好きなシーンはどこですか?
はらだゆきこ  やっぱり、ラストの伴走者が、ミヤスさんのとなりで足下を照らしてるシーンですね。描いてたら泣きそうになりました。
あと、機械伯爵(『銀河鉄道999』に出てくる)がマンションの管理人になってるところ。マンションの管理人は冷徹な感じを出したかったので、機械伯爵しかない!!と思ってました。
三保航太  はーぴーは完成した本を、北海道の帯広で受け取ったんですよね。手にしたときの感想を教えてください。また、はーぴーから、うつの人へメッセージがあればぜひ。
はらだゆきこ  仕事では、製本された「本」が送られてきても、「すでに終わった仕事」という気持ちでかなり冷静なのですが、書店で見かけたりすると、「うわーっ!」と小躍りしたくなるというかリアリティを感じるんです。
今回の場合は、発売日前後に滞在していた地元の書店には置いてなかったので(札幌では平積みしていたそうですが)、手元にある本しかこの世にはないんじゃないか…という気持ちでした。
先日、東京に帰って来て会った友人たちに「本、読んだよ」と言ってもらったり、書店で見かけたりして初めて「出たんだなーー!!」と実感しました。
ミヤスさんが「うつ」になった当初、私は無責任に「旅に出れば」とか「絵でも描いてみれば」なんて言って、「うつ」は「気分転換」すれば治るものだ、と思っていたんです。でもだんだんと「うつ」は「花粉症」みたいなものだと思い始めました。本人の意志と関係ないところで、嗜好が変わったり、身体にいろんな反応が出てしまう。それを誰も「強い心があれば治る!」とは言わない。
あとは、思うように行動できなかったり働くことができないことに対して、「うつ」の人は社会に対して何の役にも立っていないと、自分を責めがちです。そういう人のまわりに、自分のように、あまり働きもせずに、のんびりだらだら生きている人間がいれば、「ああ、別にこれでいいのか」と思えるのかなと思っています。
「自分はこんなにダメだ」とミヤスさんに言われても、「大丈夫、もっとダメな人間がここにいるぜ!」と自信もって答えられる、そういう、ダメな方向に長けている人がいたほうが、「うつ病」の人にとっては気がラクなんじゃないかと思います。
あと、そんなに真摯に話を聞かなくても大丈夫なんですよ。例えば、「今、とても辛いんだ」って言われたとして、「それは苦しいね、代わってあげたいよ!」って答えなくても、「それはそうと、イルコモさんのブログの新しいエントリー見た?」みたいな全然違う会話で呆れられるくらいでいいと思うんですよ。あんまりきっちり向き合われすぎるのもまた、「うつ」の人にとってはしんどい時もある(と、思う)。
だから、うつ病の人のまわりには、なるべく世間から余っちゃった感じの、「男おいどん」みたいな人とか(※私はおいどん大好きですが)、自分みたいな友達がひとりでもいるとすごく生きやすいと思います。非の打ち所のない人よりは、いっぱいいるんじゃないでしょうか。
はらだゆきこ  イラストレーター/グラフィックデザイナー。1973年北海道札幌生まれ。2006年からフリーで活動。音楽関係のハナレグミコトリンゴなどのCDジャケットやツアーグッズのデザイン、こども向けの書籍や雑誌などのイラストを手がける。
関連インタビュー
山口洋×三保航太 「光と闇の中で」
http://d.hatena.ne.jp/theRising/20090526